84.宝塚市大原野紙屋の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 宝塚市大原野紙屋 県道33号西谷農協前から、 西谷小学校南西100m、東西の道に北からの三叉路の北東部に西を正面に建つ
(西谷村道路元標の右横に建つ)
尖頭型角柱 75x28x30p(頂高4p)
N34.908682 E135.30239


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西面
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│右 池田伊丹          │
│左 多田院妙見         │
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南面
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│南無阿弥陀佛          │
└――――――――――――――――┘

東面
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│俗名常盤山吉右衛門       │
│太機活用禅定門         │
└――――――――――――――――┘

北面
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│文化十癸酉天九月日       │
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(文化十(癸酉)年九月1日とすると、西暦1813年9月24日金曜日となる。)
(『たからづかの道標』(昭和61年刊)では83。
 「「常盤山」は関取の四股名で、彼の供養のために造立したものである。」とあり、墓石と兼用した
 ものでは無さそうである。力士に関する道標は割と多くあり、「98.力士に関する道標一覧」を参照下さい。)
(波豆、或いは丹波(西、北)方面からやって来た人の為の物であろうか、案内先が近郷を示していない。
 この点、近辺の道標と少し異質な感じがするのは、私だけであろうか。
  右池田となっているのは、境野へ南下の後、切畑、鳥脇、若宮、満願寺への道(丹波道)を指示する
 ものと思われ、左多田院は、芝辻新田、長坂峠、銀山、広根の道を指すものと思う。)
(明治の地図から、元の辻は今より50m程西にあったと想定され、道路の付け替えと共に移設された可能
 性が有るのではないか、近接移設としたい。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南東に望む
 二基の内右側が道標  奥へ境野方面
 左は西谷村道路元標】  左(北東)、長谷方面】

写真cimg7282
【3.宝塚北部の道標(大正5)】

【2022/2月、読下し誤り等訂正】
 俗名は「常陸山」は誤り、「常盤山」である。「ひたちやま」であろう。
 又、各面の向きに誤りがあった。旧北面「右池田…」を西面とした。

写真dimg0940
【4.南面拡大
 「俗名常盤山」部分
 俗と山は一部のみ】

 【訂正 2023年9月】
 紀年銘が東面としていましたが誤りで、北面が正解です。
 又、「『たからづかの道標』(昭和61年刊)では82」は「83」の誤りです。
 住所を「宝塚市大原野紙屋」としていますが、多分「宝塚市大原野大中」で元は「寺垣内」と思うが、
 そのままとします。
 大変申し訳ありません。
 『今昔マップ on the web』明治の地図でこの辺りを見る。
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