52.宝塚市売布小学校(大)北側の道標

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宝塚市売布ガ丘1−20 売布小学校中庭に二基建つ
2基目の内、北側の大きい道標
蒲鉾型角柱 132x28x18p(頂高2p)
N34.816077 E135.358099


写真dimg1416  写真dimg1417

写真dimg1411

写真dimg1387  写真dimg1418

写真dimg1400

西面
┌─――――――――――――――┐
│右 きよ水ありま       │
└―――――――――――――――┘

東面
┌─――――――――――――――┐
│左 中山ミち         │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│         惣(作)  │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘







(『たからづかの道標』(昭和61年刊)68では、
 「もと売布から清荒神近道と売布参道との交叉点、上の池の畔にあったものである。」とあり、
 現在の西面「右清水有馬」が西を指す為には北面していたであろう、そうすると、現東面が南面し
 「左中山道」も西を指すことになるが、「中山道」は中山寺を指すものと思うので、反対方向である。
 ではどう考えるか、参道との交叉点の真ん中に立っていたとし、参拝を終え下ってきた正面に、
 今の向きのまま立っていたとしたらどうか、右(西)面には「清水有馬」、左(東)面には「中山寺」と
 なり、南方向に対する右、左と解釈すれば矛盾しなくなる。
 明治の地図で辻が見受けられる場所は、今の校門前ぐらいで、売布神社参道を下った正面の辻の
 南部としてみたい。
N34.816032 E135.358969
 辺りかと思われる。)
(北面、「惣作」の意味は、村中で作ったであろうか。
 『たからづかの道標』では「作」とありそれに従ったが、旁の部分が現代の書き方と異なっており、
 別の字である可能性もある。
 よく似た彫りの物が、伊丹市にあり「22.伊丹市寺本2丁目の大師道道標」、これも「作」かも
 知れない。)

写真dimg1428 写真dimg1377
【1.校門前より西を望む 【2.中庭を東に望む
 右が売布神社鳥居  左(北)側大きい道標】
 西は校庭と自動車道で途切れる】

写真dimg2119 写真dimg0759
【3.宝塚西部の道標(明治44年)】 【4.宝塚東部の道標(明治44年)】

写真dimg2112
【5.宝塚南部近世の街道】

【訂正 2023年9月】
 誤:「「22.伊丹市寺本2丁目の大師道道標」、これも「作」とした。」を
 正:「…、これも「作」かも知れない。」

 『今昔マップ on the web』明治の地図参照。
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