22.伊丹市寺本2丁目の大師道道標

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伊丹市寺本2丁目16の昆陽寺墓地内の池の北西部に東を正面に建つ
石道標(尖頭型角柱、凝灰岩) 119x21x14p(碑面高さ66p)(頂高2p)
N34.777345 E135.388705


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東面
┌─――――――――――――――┐
│  伊丹世話方        │
│大師道 惣講中        │
└―――――――――――――――┘

北面
┌─――――――――――――――┐
│    松屋卯兵衛      │
│世話人            │
│    藤嵐(竹)右衛門   │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│(なし)           │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│天保辛卯 年         │
└―――――――――――――――┘


(北面の「竹」を人扁とし旁部分は「ノ、一、亅」のようであり「作」「イ尓」にも似る、不明。)
(北面の「卯兵衛」の「卯」は、「亜」から下の「一」を取ったように彫られている。)
(天保辛卯年は天保二年にあたる、1月1日とすると、西暦1831年2月13日)

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【1.墓地入口、南を望む】 【2.建立地、南西を望む】

(大師道とは、弘法大師に関係のある参詣道を示すものとおもう。
 昆陽寺は高野山真言宗の寺院であり弘法大師とは関係があるものの、昆陽寺への道を「大師道」と呼んでいたかは不明。
 例として、近辺で現在も残る大師道は、西宮市甲山町の神呪寺の近くに、西宮市甲陽園山王町の「大師道」バス停がある。)
【元の位置について】
(『伊丹の道標をたずねて古道を歩く』では、昆陽寺の西から北東昆陽池に至る道を「行基道」としており、
 解説では、「「大師道」とは、西宮市にある甲山神呪寺への参詣の道筋…」とある。
  ここから神呪寺へは、西国街道を西下し、髭の渡し、段上で西に分かれ、上ヶ原、神呪寺であろう。
 であれば、行先に「右、左」が無いところから、「大師道」(西国街道)の上に建っていて、かつ道案内が
 有れば良さそうな地点を探すと、現在地から東南東130m、西国街道から北西(池尻道)方面へ細道が
 分岐する地点(現庚申塚あり)辺りに、北東を正面として立っていたのではないか。)
(伊丹市博物館の示す街道は下図に示した。
 現在の道標が有るのは、西国街道と中山道(行基道)の交差点から北東へ直線で400mの墓地中であり、
 北西230mでは、「中山道」と交差する地点である。
 中山寺への道を「大師道」と呼んでいたとするなら、墓地入口(北西20mに三叉路あり)近くに移せば、
 「中山道」への案内となり、移動距離は短かく40m程になる。)

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【3.博物館の街道と道標】 【4.池尻道(地元呼称?)とは、『寺本の旧地名』伊丹市より】

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【5.伊丹西部の道標(明治44年)】

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【6.伊丹南部の道標(明治18年)】

(西宮の道標に見る「大師道」
1.西宮市甲陽園目神山町の道標
2.西宮市六軒町3の道標
3.西宮市甲陽園山王町1の西側道標
4.西宮市甲陽園山王町1の東側道標
5.西宮市甲陽園神山町10の道標
等がある。
 が、その多くは、南部の西宮中心部からの道で、この道標が示す「大師道」と同じ道では無い様に思う。)
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