43.西宮市甲陽園目神山町の道標

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西宮市甲陽園目神山町 獅子ヶ口方面(南)からの大師道が西から北に曲がる北東部に、南を正面に建つ
(小川に架かる橋の東南袂)
尖頭型角柱 107×21×13.5p(頂高5p)
N34.76814 E135.330968


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南面
┌─―――――――――――――――┐
│是ヨリ             │
│   大師道          │
└――――――――――――――――┘

西面
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│寄附者 吉田長蔵        │
└――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――┐
│大正九年四月建之        │
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北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘




(明治時代の地図には、北、神呪寺へ直登する道が描かれおり、谷筋を東へとる道は描かれていない。)
(建立が大正九年とあるからこの頃には下る道も出来ていたのか。昭和七年地図にはほぼ現在の道が載る。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、7)
(『西宮の道標』宮崎延光、昭和44年刊では、60。
 同書では、寄附者を吉田成蔵とし、「33.西宮市甲陽園山王町1の西側道標」の吉田長蔵とは血族関係か、
 同じ頃建てられたのではないか、ともしているが、碑面を見る限り、同一人物、同時であることに間違いは
 ない。実物を確認されなかったのであろうか。
 又もう一つ、同一人の作成した「42.西宮市甲陽園目神山町10の道標」の三基が確認でき、獅子が口町
 から、神呪寺への参詣道を示すものである。ただ、「33.道標」でも述べたように、現バスの通る大師道
 も、「33.道標」から此方の参詣道へ出るまでの大師道も、大正七年の甲陽園開発により、付けられたと
 思われるので、新しい「大師道」である。明治の獅子ヶ口参詣道は、甲陽園目神山町7のピークを西に回り
 込む道で、この道標の位置から北に折れ神呪寺へ向かっていた。
 南面にある、「是ヨリ」が旧道への接続を思わせる。これより手前の、「33.道標」や「42.道標」は
 左右の方向を示すだけで、このような表現はされておらず、逆にこちらは方向を指定していない。)
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む 【4.道標を北に望む
 中央ガードレル右に当道標  奥、神呪寺へ  奥(東)山王公園へ  「是ヨリ」とするは明治
 左(北)神呪寺へ】  右(東)山王公園へ】  左は御手洗川か】  旧道へ接続した為か】

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【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】
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