42.西宮市甲陽園目神山町10の道標

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西宮市甲陽園目神山町10 南西、獅子ヶ口方面からの道と南東、六軒方面から道が合流し
各々北へと続く交差点の北西部に、南東を正面に建つ
(現在ではX字状の交差点に更に北へ階段が続く五叉路である。)
山型角柱 90x南東面20.5x14p(頂高5p)
N34.765334 E135.330195


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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│右 大師道           │
└――――――――――――――――┘

南西面
┌─―――――――――――――――┐
│大正九年四月建之        │
└――――――――――――――――┘

北東面
┌─―――――――――――――――┐
│寄附者 吉田長(蔵)      │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘



(明治時代の地図には、合流後、神呪寺(北西)へ登る道が描かれおり、北東の道は描かれておらず、昭和七年要修
 の地図には、北への階段道以外は、ほぼ現在の道が描かれている。
 大正七年の甲陽園開発の時に、この辺りに多く道を造ったようで、この時に北東への道が出来たのであれば、獅子
 ヶ口参道の新大師道であったのかも知れない。西廻りの旧からの道よりも、若干、此方の方が距離は短いが、その
 分急でもある。)
(『西宮歴史散歩案内マップ』市教育委員会、平成20年刊では、14)
(この道標は「33.西宮市甲陽園山王町1の西側道標」で述べたように、同時に建てられたものであろう。丁石等、
 一人の人により複数建てられることもよくある様に思われるが、ただ気になる点が一つ、北東面にある「寄附者」
 というもので、一般的には、「施主」や「世話人」が多く、このようなものは珍しいと思う。「施主」は元々「布
 施をする主(人)の意味で、「仏教の僧侶に供養をする人」を指すらしい。宗教色を出さないために、敢えて使用
 したものであろうか。)
(他の丁石、「68.神呪寺丁石一覧」も参照下さい。)

写真dimg4922 写真dimg4930 写真dimg4931 写真dimg4932
【1.道標を北西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南に望む 【4.道標を西に望む
 中央電柱右に当道標  左奥、新大師道へ  奥(南)甲陽園駅へ  奥(北西)明治からの道
 左(北西)やまびこ南通り】  右奥、六軒方面へ】  右、やまびこ南通り】  手前、新大師道へ】

写真dimg3829 写真dimg3838
【5.西宮南部の道標】 【6.神呪寺丁石一覧】
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