29.豊中市服部寿町2の常楽寺道標

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豊中市服部寿町2−9−12 常楽寺の北西の常楽寺に東を正面に建つ
(北西角の地蔵堂と、寺の塀に囲まれ外からは見えない)
蒲鉾型角柱 93x26x東面23p(頂高6p)
N34.760609 E135.470366


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東面
┌─――――――――――――――┐
│役行者            │
│   薬師如来 常楽寺    │
│御 作     是より二丁西 │
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南面
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│  十五世慧山        │
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西面
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│  天保十三寅年四月 梶木町 │
│           木屋要助│
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北面
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│(なし)           │
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(天保十三(壬寅)年四月1日とすると、西暦1842年5月10日火曜日となる。)
(『とよなか歴史文化財ガイドブック』2014年、市教委編では、B3_59)
(同書に、「現在豊島小学校内に移設している常夜燈のすぐ横に南面してたっていたそうです。」とあり、
 「9.服部西町3豊島小学校道標」で元位置を、服部南町1丁目7、現国道176号から西へ10m入った三叉路
N34.760868 E135.476528
 辺りとしたので、その横ということになるが、
 その地点から、現在の常楽寺までは580mの距離があり、「二丁(約220m)西」と大きくかけ離れている。
 距離からいえば、現穂積会館西の、服部寿町2丁目1の北東の四辻
N34.760763 E135.473094
 辺りに建っていたとするほうが良いと思うが。)
(又、同書に、「梶木町は大坂方面の町名とみられています」とある様に、
 西面「梶木町」は、『増脩改正攝州大阪地圖』文化三年赤松九兵衛版に、現在の地下鉄淀屋橋駅の東辺り、
 北浜通りで、淀屋橋筋と心斎橋筋に挟まれて「梶木丁」とあるものではないかと想像する。)
(「梶木丁」は、国立公文書館デジタルアーカイブ「増脩改正攝州大阪地圖」のコマ5参照。)
(「木屋要助」を施主とすれば、南面の「十五世慧山」とはどんな関係であったのであろうか。)

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【1.常楽寺を南に望む 【2.道標を北西に望む 【3.西面上部を拡大 【4.西面下部を拡大
 地蔵堂の後ろに道標  右端が当道標  汚れているが  「梶木町」
 左(東)服部方面へ】  その右は地蔵堂】  「天保十三寅年四月」】  「木屋要助」】

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【5.南面下部を拡大 【6.豊中南部の道標】
 「十五世慧山」
 と読める、願主か】
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