18.箕面市勝尾寺境内の徳本寺道標

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箕面市粟生間谷2914 勝尾寺境内、二階堂西10m、空き地に寝かされている。
蒲鉾型角柱 93x21x21p(頂高4p)(基部43x32x25p含まず)
N34.866625 E135.492112


写真eimg3519

写真eimg3509

 (右側が当道標、上下は逆転している)
写真eimg3508

左面(正面)
┌―――――――――――――――――┐
│二十けん             │
│   於く 徳本寺        │
└―――――――――――――――――┘
(「二十けん於く」は「二十間奥」であろう)

上面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

右面(裏面)
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘
(粗削りで上部はやや円弧状を呈す)

下面
┌―――――――――――――――――┐
│(不明)             │
└―――――――――――――――――┘


(『箕面のみちしるべ』箕面市教育委員会、平成三年刊、では、35)
(同書に、「…旧位置は不明である」とあるが、徳本寺の位置が分かれば、元位置も判明するであろう。
  徳本寺は徳本上人が、享和元(1801)年、勝尾寺境内に営んだ松林庵を、文化六(1809)年に、拡張し
 改名されて出来たものであるらしい。
 そこで、古絵図「西国二十三番札所、勝尾寺案内之繪図」から「松林庵」を探すと。本堂のすぐ北に「松
 林庵」が見え、現在の本堂の北東から、二階堂へ続く道を北に20m進み、そこから西へ二十間(36m)
 分け入った辺りと、読取っても良さそうだ。
 現在の地図の等高線を見てもその辺りに、平坦部分が見え、建物を建てる事が出来そうである。
 依って、その進入口にあったとするなら、
N34.866255 E135.491357
 辺りに、東面して建っていたのではないかと思う。
  ただ、「摂陽群談」元禄14年、完成では、「二尊院は或いは松林庵と号す」とある様に、時代によっ
 ては、上記と異なる建物を指す可能性もあり、二尊院を対象とすべきかも知れない。
 しかし、前述の古絵図を見ると、「二尊院」も「松林庵」も両方描かれており、「二尊院」は現在の墓
 地の東方の駐車場辺りで、道の東側に面して建っている様に受け取れるので、そこならこの「奥20間」
 の案内は不要であろうと思われる。
 依って、上記位置(現本堂のすぐ北)とした。)
(国会図書館デジタルコレクション「摂陽群談」巻14の寺院の部の寺院下二、コマ番号[163]の
 「二尊院」の項に、「松林庵」の記述が見える。)
(徳本寺を示すものがもう一基あり、「箕面市勝尾寺境内の徳本寺2道標」それは距離でなく「上」としている。)

写真eimg3506 写真eimg3522 写真eimg3478
【1.二階堂西10mの道標等 【2.道標の上部を望む 【3.道標の元位置?を
 工事用柵の北側に  上側が当道標  北に望む、奥石垣の左上
 資材石と共に有る】  直下は一丁丁石】  辺りが徳本寺跡か】

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【4.西国廿三番札所 【5.箕面市の道標】
 勝尾寺案内之絵図
 本堂直ぐ上松林庵】
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