51.茨木市山手台4丁目の道標1/3

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
茨木市山手台4丁目 山手台中央公園北西部、三基の内、西端に南を正面に建つ
尖頭型角柱 188x39x39p(頂高12p)
N34.863198 E135.551078


写真eimg5423

写真eimg5424

写真eimg5425

写真eimg5426

南面
┌────――――――――――――――┐
│南無妙法蓮華経           │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│左京みち 右大坂          │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│南無妙法蓮華経           │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では33)
(同書に「旧亀岡街道は山手台の中を通っていた。そこに建てられたものである。茨木サニータウン造成中に移動され
 …」とあり、移設は間違いないが元の位置の状況は書かれていない。ただ、「右大坂」を南、「左京みち」を北とし
 ている。
 これを、ある方向から来て、左右に道が分かれる三ツ辻と受け止めると、候補は複数あるが、可能性が高いと思われ
 る地点を一つ挙げると、現在の地図では
N34.860177 E135.551530
 辺り、茨木市山手台3丁目24−25の三ツ辻、清坂街道の東に併行して、真龍寺西から北に登ってきた道が、安威
 から北西の国見へ続く道(穴太寺ー総持寺巡礼道)に出会う辻の東部に、現、西面が、西、又は南西に面して建って
 いたとしたい。
 明治の地図では、南からの道は、現在のように辻直前で迂回せず直登し、上記の北20m辺りに辻が有ったように思え
 る。)
(又、同書には、「11.茨木市耳原3法華寺の道標」とよく似ているとしているが、道案内部分に書かれた「左」の
 文字は、字形が明らかに違い、当道標では、旁の部分が「己」のようで、耳原のものは、「ヒ」のように書かれてい
 る。又、ひげ文字部分でも、「妙」「経」等は明らかに違っている。ただ、石の大きさや、頭頂部の形、石質など、
 高さを除いては似ているといえる。)
(後日判明の事。『わがまち茨木」(街道編)教育委員会、平成4年刊の「V各論考、4清坂街道」の中に、「今日で
 は宅地開発によって10m余り切下げられ旧状は偲ぶべくもないが、かって国見峠の頂上に建っていた道標を兼ねた
 大型の題目塔(現山手台4丁目公園内に移築)…」と書かれており、国見峠の頂上が分れば元位置が確定できる。
 明治の地図で、上記候補地より1q程北となる、現在の山手台6丁目10−7の住宅となっている
N34.86908 E135.54796
 辺りに、五つ辻が見え(南北ではピークだが、頂上ではない)、ここを東に進むと、大門寺から安威川沿いの妙見街
 道となり、南に進むと、旧清坂街道(私見、巡礼道)となる地点であったと思われる。前述の地点よりも、ここの可
 能性が高いか。)

写真eimg5458 写真eimg5422 写真eimg5419
【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北東に望む
 左三基が道標、右へ  左端、背の高い  左(北)大岩へ
 石碑、案内板、古墳】  ものが当道標】  右三叉路を南東安威へ】

写真eimg5456 写真eimg5427 写真eimg5455
【4.道標を東に望む 【5.道標上部を南に見る 【6.道標南面拡大
 三ツ辻の正面に  尖頭型としたが  前書では11と
 立っていたか】  やや丸みを持つ】  似ているとあるが】

写真eimg4663
【7.茨木北部の道標】
写真eimg4675
【8.茨木南部の道
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ