86.茨木市千堤寺村金蔵設立の道標(遺失)

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茨木市大岩525辺り 『わがまち茨木』(道標編)40で昭和58年前に遺失と掲載される。辺りを探すも見つからず。
尖頭型角柱 68x21x19
N34.89273 E135.541267


写真eimg5711

正面
┌────――――――――――――――┐
│右 龍王 是より十一丁       │
│           道      │
│すぐ あなお            │
└――─―――――――――――――――┘

左面
┌────――――――――――――――┐
│ 願主               │
│  千堤寺村            │
│     金蔵           │
└――─―――――――――――――――┘

裏面
┌────――――――――――――――┐
│文久貳歳戌十月           │
└――─―――――――――――――――┘


(文久二(壬戌)年十月1日は西暦1862年11月22日土曜日となる。この年閏八月あり。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では40)
(「茨木市忍頂寺198の道標(八大龍王山の道標)の下にあった。昭和58年の再調査時には無くなっていた」とあり、
 掲載の写真により道標南側を中心に探したが、やはり見つからなかった。
  上記写真は府道上から南東に向け撮ったものであるが、同書掲載の写真とは反対向きになっていると思う。この写
 真の辻左手前(北部)に向う向きに建っていたのではないか。今も残る上記道標にも同じ「十一丁」が刻まれる。又
 「すぐ あなお」は「すぐ穴太」とし、現府道(清坂街道)を直進する事を案内したであろう。但し建設当時の道を
 想像すると、ここには移設された可能性があり、南西40mにある鳥居の建つ辻であったのではないか。)

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【1.忍頂寺198の道標 【2.遺失地を南西に望む 【3.茨木北部の道標】
 上部にある  マンホール右辺りか
 「是ヨリ十一丁」】  道標奥に鳥居が見える】
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