38.茨木市忍頂寺198の道標

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茨木市忍頂寺198 府道1号を、忍頂寺への旧道が北に横切る四辻(一見三叉路)の北東部に、南を正面に建つ
(忍頂寺小学校の下、南200m。府道1号(114号と重複)は清坂街道。)
尖頭型角柱 139x南面35x27.5p(頂高12p)(台石25x南面63x50p含まず)
N34.892716 E135.541359


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南面
┌────――――――――――――――┐
│是ヨリ十一丁            │
│(梵字バン)八大龍王山       │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│大正三年十月 吹田新田       │
│         信者中      │
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(大正三年は西暦1914年となる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では39)
(同書に「…バンという趣旨(種子の誤か)で大日如来を表す。密教系の最高の仏である。」とある。
 又、「龍王山の信仰とは、龍王山頂近くに八大龍王が住んでいるとし、水の仏、降雨の仏と信仰したのである。標高
 510mの山頂に近い高所に池があり、湧水で年中水が枯れることがない。傍に宝池庵という寺があってここを管理し
 ている。宝池庵は龍王山と号し、融通念仏宗で釈迦如来を本尊とする寺である。龍王信仰は密教系の信仰であるから、
 古くはここを、忍頂寺が管理していたのであろう。」としている。
  引用が長くなったが、八大龍王山の位置を決定する手掛かりとする為で、これにより、本来は池が信仰対象であっ
 たとしたい。宝池寺、池、神社は、30m程の距離で、「八大龍王山」がどれを指すかは別にして、実質同じ位置とし
 ても良いであろう。
  さて、「是ヨリ十一丁」(1.2q)は、寿命院の階段を迂回する道を採っても1.0qで200m(二丁)も合わない。
 よって移設の可能性ありとするか、参詣の経路を、寿命院の下からとせず、小学校の北にある浄福寺の前を通る
 (1.2q)ものとするかである。
 ご近所の方の話では、昔から此処に有ったと言われているので、後者の可能性が高いのかも知れない。とすれば、寿
 命院(忍頂寺)を避ける必要があったのであろうか。この経路中に、「茨木市忍頂寺249の道標2/2」があり、
 それには「八丁」とあり、当道標と同じ問題を含んでいる。二つが同じ問題を持つことは、「参道」が、浄福寺前を
 経由する道であることを示すと思われる。
 通常の道標では、遠回りの案内はあり得ないが、「参道はこちら回りです」とされれば、仕方のないものかも知れな
 い。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南西に望む
 奥(北)忍頂寺へ  左(北)忍頂寺へ  右奥、北に向かい見山へ
 左右、現府道1号】  奥、府道1号を大岩へ】  道標右に鳥居が見える】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面上部 【6.道標北面下部
 急坂400mで寿命院  「是ヨリ十一丁」と  「吹田新田」
 下の「階段下道標」へ】  小さく彫られている】  「信者中」と読める】

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【7.茨木北部の道標】
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