41.茨木市忍頂寺240の道標

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茨木市忍頂寺240−1 忍頂寺(寿命院)正門前の石段の下の西側に、南を正面に建つ
(舗装路は北東へ、階段は北へ、野道の様なものが北西へ何れも登っている。)
蒲鉾形角柱 126x20.5x18.5p(頂高3p)(基部3p含む)
N34.895109 E135.544286


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南面
┌────――――――――――――――┐
│         大阪島之内千年町 │
│(梵字バン)八丁  魚油商奥田彦次郎│
└――─―――――――――――――――┘

西面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘


(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では41)
(同書に「「八丁」とあるので、寿命院をさすのではなくて、龍王山までをいったのであろう。千年町というのは
 『大阪の町名』(大阪町名研究会編)によると、明治5年3月17日の町名分合改称により名付けられたものであるから、
 この道標はそれ以後に建てられたものである。」としている。)
(これには地名が入っていない為、道標とはし難いが、前述の書に倣って採り上げた。
 前書に云う「龍王山」も、宝池寺、池、神社、どれを指すか不明であるが、一応、宝池寺として考えると、ここより、
 階段を北に登らず、北西の野道を採って、寿命院の西に戻る道筋を採っても700mで200m(二丁)も合わず、参拝の
 経路を、現地点からとするのが誤りではないか。
 地元の方の話では「この辻は、なん辻か分らない。階段下で四辻、すぐ南で四辻となっている。」と言われるように、
 ざっと見ると大阪市の市章の澪標、或いは「キ」の様な辻である。
 明治の地図から想像し、南の辻の西への道を採り、小学校の北東にある浄福寺の前で、東に折り返し、忍頂寺寿命院
 の西に戻り、北上する道を進むと、900mとなり、この道筋を示していた可能性が高い。
 とすれば、元々今より少し南辻の、現在「茨木市忍頂寺249の道標2/2」がある(それにも「八丁」とある)辺
 りに、あったものかも知れない。但し、その道標も近接移設されている事を、前出の方にお聞きしました。)
(同書に、梵字「バン」は大日如来の種子とする記述有。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 左野道、中階段、右舗装路  奥、府道1号へ  左奥(北西)も道らしい
 何れも上の忍頂寺へ】  墓石の右に当道標】  階段直登途中に門あり】

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【4.道標を北東に望む 【5.南の道標から当道標 【6.道標南より南の道標を望む
 西横の金属案内は  を望む、先で三筋分岐  電柱から来た道が右(西)
 一字も読めず】  電柱右も道、左に続く】  へと続く痕跡あり】

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【7.茨木北部の道標】
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