32.茨木市泉原4 大峰供養の道標

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茨木市泉原4−1 府道43号と110号の合流する交差点の東に西を正面に建つ
(清渓駐在所すぐ北の四辻(一見三叉路)、東への山道に入ってすぐ)
石燈籠 竿部125x45x45p(中台18x60x60p)(火袋39x37x37p)(笠部41x85x85p)(台石30x西面103x84p)
N34.883165 E135.525771


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西面
┌────――――――――――――――┐
│大      右妙見        │
│ 爲三十三度供養          │
│峯      左泉原        │
└――─―――――――――――――――┘

北面
┌────――――――――――――――┐
│泉 宿坊              │
│  升組              │
│原  竹林院  先達 庄助     │
└――─―――――――――――――――┘

東面
┌────――――――――――――――┐
│          千提寺村□   │
│文政四辛巳年秋七月         │
│          一坪寄進    │
└――─―――――――――――――――┘
(村の下は「領」のように見える)

南面
┌────――――――――――――――┐
│聖護院       栄蔵  弥右衛門│
│      先達  爲治郎 栄照  │
│   講中             │
│       仙蔵 小兵衛 仁左衛門│
│御宮        市右衛門 九兵衛│
└――─―――――――――――――――┘


(文政四(辛巳)年秋七月1ひなら。西暦1821年7月29日日曜日となる。)
(『わがまち茨木』(道標編)三版、教育委員会、平成19年刊では28)
(同書に「本来は大峯三十三度供養のために、…講が建てた石燈籠であるが、そこに「右妙見 左泉原」という案内文
 があるので道標を兼ねているのでとりあげた。」としている。
 この案内文が、建設当時からあったものか、後に追刻されたものか不明であるが、その指示する方向から判断すると、
 設置の向きが反対である様に思える。
 即ち「右妙見」が北、亀岡街道(府道110号)を指すべき所、現状では南を指示している。「左泉原」が何処を指す
 かは不確定であるが、やはり現西面が、180度廻って東に面しているべきであろう。
 近くにお住まいの方によると、子供のころから此処に有ったとのことで、昭和40年頃以降は現状のままと思われる。
 明治の地図では、当交差点は筋違いの四辻であったようで、現在西、小学校の方へ続く道は今のように、真直ぐ交差
 点に交わらず、少し南に曲がって接続していた(今も痕跡有)ようである。よって東谷や西谷(これが泉原か)の集
 落へ進むためには、東の山から下りて来た場合一度左(南)に曲がり、すぐ西に折れる必要があったと思われ、これ
 を「左泉原」と表現したものか。或いは、少し南の、微視的に見た場合の、三叉路部の北部に、南面して、立ってい
 たものではないか。
  道の太さや、見映えからすると、後者の方が可能性が高いと思う。この場合「右」は亀岡街道を北東へ、「左」は
 西の集落へ進むように受け取れる。
  依って何れにせよ、近接移設(前者で10m西、後者で南西30m)としたい。)
(Wikiに「竹林院(ちくりんいん)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある単立の寺院。大峯山寺の護持院の一つであ
 る。」とあり、又「大峯山寺本堂の手前5分ほどのところに、これら五か寺の宿坊が固まって立地している。」とも
 ありこれか。)
(案内にはない東に進むと、「茨木市千提寺一町田の道標」に出て、大岩へ繋がっている。)

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【1.灯籠を東に望む 【2.灯籠を南に望む 【3.灯籠を北東に望む
 右(南)佐保へ  右に府道の交差点  左奥、つづら折れに
 左、妙見山、亀岡へ】  正面に石灯籠】  登り、東の一町田へ】

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【4.灯籠を東に望む 【5.西面下部拡大 【6.東面拡大
 この向きで右は  「右妙見」  「文政四辛巳年秋」
 南方を示す事に】  「左泉原」とある】  と読める】

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【6.茨木北部の道標】
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