高槻市上牧2丁目6−31 本澄寺の東の墓地内の東部に西を正面に建つ
九輪塔道標 上部未測定、台石4段目35x北面54x54p、同3段目35x76x75p、同2段目27x98x98p、同1段目27x150x130p
N34.866232 E135.661514




南面              台石4   台石3
                     ┌――――┐
               ┌――――┐│    │
┌―――――――――――――┐│…下記 ││    │
│上牧           ││    ││    │
│  本澄寺        ││    ││    │
│     是より二町   ││    ││    │
└―――――――――――――┘│    ││    │
               └――――┘│    │
                     └――――┘
西面              台石4   台石3
                     ┌――――┐
               ┌――――┐│    │
┌―――――――――――――┐│…下記 ││    │
│南無妙法蓮華経      ││    ││    │
└―――――――――――――┘│    ││    │
               └――――┘│    │
                     └――――┘
北面              台石4   台石3
                     ┌――――┐
               ┌――――┐│    │
┌―――――――――――――┐│…下記 ││    │
│南無日蓮大菩薩      ││    ││    │
└―――――――――――――┘│    ││    │
               └――――┘│    │
                     └――――┘
東面              台石4   台石3
                     ┌――――┐
               ┌――――┐│塔蓋九輪│
┌―――――――――――――┐│…下記 ││及臺座石│
│安永四歳舎乙未四月穀旦  ││    ││重加荘嚴│
│             ││世話人 ││文政三年│
│       日脱營建焉 ││    ││庚辰之春│
└―――――――――――――┘│    ││    │
               └――――┘│廿九世 │
                     │ 日考代│
                     └――――┘
(「穀旦」は「吉日」と同様、「舎」は不明)
(安永四(乙未)年四月1日とすると、西暦1775年4月30日日曜日となる。
 文政三(庚辰)年1月1日とすると、西暦1820年2月14日月曜日となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、20)
(同書に「この町石がたっていた船着き場からの距離を示しているが、明治以降淀川の堤防が改修されているため、こ
 の町石が立っていた場所は定かでない。」としているが、その前の頁で、「以前淀川べりにあったといわれるが、
 「淀川両岸一覧」にあるものと同じものであろう。」とする。その絵を見ると、堤上の当道標と神社と寺を東から見
 た図と思える。この条件で、明治の地図を見ると、ピタリ「二町」とするなら、本澄寺の南東、春日神社の北東土手
 (上牧新川右岸)の上辺りと思われるが、前図の位置関係(神社の左)を重視し、それより約半町(50m)南、神社
 の南東の上牧町2丁目13−14
N34.864630 E135.663191
 辺りが相応しいと思う。
 尚、明治の地図では、堤防や川の位置は今とほぼ同じで、船着き場と土手に登る道も描かれており、前述の絵と符合
 する。)
(同書に、塔身は安永四年、二十四世日脱がつくり、台石部分に二十九世日考が、笠、九輪、台座を付け加えたと書か
 れているとしている。)
(東面、「舎」の意味は不明だが、「乙未(きのとみ)の年にあたる」等か。「穀旦」は「吉日」の意と『大字典』に
 あった。
 「焉」は断定を表わす語で読まない。とするものであろう。)
(道標の左右に有る常夜燈については「高槻市上牧2の常夜燈」を参照下さい。
 前述の「淀川両岸一覧」府立中之島図書館蔵は、同書で「文久元年(1861)刊」としており移設はそれ以降となる。)
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| 【1.本澄寺を東北に望む | 
【2.道標を東に望む | 
【3.道標を北西に望む | 
|  当道標は右奥の墓地内 | 
 中央左が当道標 | 
 中央奥が本堂 | 
|  門前左右が常夜燈】 | 
 基礎と四段台石の上】 | 
 西向うに山門】 | 
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| 【4.道標南面下部 | 
【5.台石四、三段目の東面 | 
【6.道標東面 | 
|  塔身に「是より二町」 | 
 上四段目中央「世話人」 | 
 「安永四歳…」の紀年 | 
|  台石に人名がある】 | 
 下三段目、日考の書か】 | 
 「日脱營建焉」とある】 | 
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| 【7.淀川両岸一覧か | 
|  左頁のやや右に | 
|  道標と常夜燈か】 | 
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| 【8.高槻南部の道標】 | 
台石4段目詳細
(南面)
大和屋七右衛門
木津屋喜兵衛
鯛 屋喜兵衛
伏見屋左 助
紙 屋宗兵衛
河内屋き し
大庭屋宗右衛門
加嶌屋安兵衛
絹 屋半兵衛
(西面)
 井筒屋彌兵衛
 久寶寺屋吉兵衛
 大和屋甚右衛門
 泉 屋八兵衛
施主大坂
 京 屋平兵衛
 池田屋清□門
 交物屋兵 助
 大津屋伊兵衛
(北面)
天満屋善 七
天王寺屋妙達
河内屋八 政
九 屋喜 八
大坂屋善 七
平野屋茂兵衛
□ 屋五兵衛
河内屋五兵衛
天満屋久兵衛
(東面)
@南久太二木田氏理伯□□□
河内屋伊兵衛
鴻 池庄 八
世話人
宗久
よし於仁兵衛
正智院浄蓮日圓
神A屋新兵衛
圓成院妙理日祐
神崎屋も と
(注、@は舛型の中に「イ」
   Aは「山」の下に「奇」と書く「崎」
  「もと」は変体仮名「毛登」であろう)
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