25.高槻市唐崎中4の道標

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高槻市唐崎中4丁目10 JAたかつき、唐崎支店北西の四辻の南東部に北を正面に建つ
(東西の道は現府道139号線)
尖頭型角柱 130x北面24x25.5p(頂高7p)
N34.815226 E135.612303


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北面
┌―――――――――――――――┐
│□ 三島江 鳥飼       │
│□ 茨木 吹田  大阪    │
└―――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――┐
│□ 三島江 鳥飼 味生 柴島 │
│□ 大塚 枚方        │
└―――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――┐
│直 大塚 枚方        │
│□ 茨木 吹田  大阪    │
└―――――――――――――――┘

東面
┌―――――――――――――――┐
│明治四十三年六月  大阪府  │
│  此所 三箇牧村大字唐崎  │
└―――――――――――――――┘


(明治四十三年は西暦1910年となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、71)
(同書では、「氷室町1の南側明治の道標3/3」と同時に建てられたある。)
(同書に「明治43年にはここは三叉路であった…、時計と反対方向に90度回すと、三叉路の道とあってくる。」とし、
 回転前の碑面文字(元の文字)を「「北面「左 大塚、枚方 右三島江、鳥飼、味舌」東面「直 三島江、鳥飼 右
 茨木、吹田、大阪」であったと想像される…道標を動かしたときに、道に合わせるために文字を削ったのであろう。」
 としている。(確かに同書には現南面が西面している写真が載る。)
 方向に関して、現在2018年で確実に読み取れるのは、南面の「直」のみであり、その他は新旧の判別が出来ないほど
 追刻(或いはは削除)が稚拙であり、現状どう読めばよいか分からない。
  そこで、現地と各地の向きを整理すると、三島江が「南」、茨木が「西」、大塚は「東」となるが三叉路を考慮し
 「北」とし、これを道標に入れると下の様になる。(( )は参考の為)


 北面
 ┌――――――――――――――――┐
 │直(南)三島江 鳥飼      │
 │右(西)茨木 吹田  大阪   │
 └――――――――――――――――┘
 西面
 ┌――――――――――――――――┐
 │右(南)三島江 鳥飼 味生 柴島│
 │左(北)大塚 枚方       │
 └――――――――――――――――┘
 南面
 ┌――――――――――――――――┐
 │直(北)大塚 枚方       │
 │左(西)茨木 吹田  大阪   │
 └――――――――――――――――┘


 これが、建設時の表現であろうとすると、現南面の「直」が一致することと、東面に紀年がある事を含め、現在2018
 年では元の向きに戻されていると思われる。
  明治の地図では確かに、三叉路になっており、西から北へ折れ、階段状に折れ曲がった後に東進する道を「茨木街
 道」と記しており、この道は今も残っている。(昭和12年測図の地図にも東へ直通の道はない。)
 依って、ほぼ元の位置、元の向きに建っているとし、過去の経緯で方向部分が読み取れなくなったとする。)
(西面、「味生」は「あじふ」と読むらしく、現在の摂津市の南西部に、明治29年から昭和31(1956)年迄あった村
 らしく現在の一津屋あたりと思われ、淀川右(西)岸沿いの道筋にあたる。)

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【1.道標を南に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を北に望む
 奥(南)三島江へ  奥へ現府道139号  奥(北)大塚、枚方へ
 右(西)茨木へ】  左端に当道標】  左から北へ茨木街道】

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【4.道標北面上部 【5.道標西面下部 【6.道標東面下部
 右側元「直」か  「味生」は「味舌」  「大阪府」から下は
 左側元「右」か】  でなく「あじふ」】  過去に埋まっていたか】

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【7.西横の案内板
 元の向きに戻した
 と書かれている】

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【8.高槻南部の道標】
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