高槻市唐崎中4丁目10 JAたかつき、唐崎支店北西の四辻の南東部に北を正面に建つ
(東西の道は現府道139号線)
尖頭型角柱 130x北面24x25.5p(頂高7p)
N34.815226 E135.612303




北面
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│□ 三島江 鳥飼 │
│□ 茨木 吹田 大阪 │
└―――――――――――――――┘
西面
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│□ 三島江 鳥飼 味生 柴島 │
│□ 大塚 枚方 │
└―――――――――――――――┘
南面
┌―――――――――――――――┐
│直 大塚 枚方 │
│□ 茨木 吹田 大阪 │
└―――――――――――――――┘
東面
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│明治四十三年六月 大阪府 │
│ 此所 三箇牧村大字唐崎 │
└―――――――――――――――┘
(明治四十三年は西暦1910年となる。)
(『高槻の道しるべ』高槻市教育委員会発行、昭和58年刊では、71)
(同書では、「氷室町1の南側明治の道標3/3」と同時に建てられたある。)
(同書に「明治43年にはここは三叉路であった…、時計と反対方向に90度回すと、三叉路の道とあってくる。」とし、
回転前の碑面文字(元の文字)を「「北面「左 大塚、枚方 右三島江、鳥飼、味舌」東面「直 三島江、鳥飼 右
茨木、吹田、大阪」であったと想像される…道標を動かしたときに、道に合わせるために文字を削ったのであろう。」
としている。(確かに同書には現南面が西面している写真が載る。)
方向に関して、現在2018年で確実に読み取れるのは、南面の「直」のみであり、その他は新旧の判別が出来ないほど
追刻(或いはは削除)が稚拙であり、現状どう読めばよいか分からない。
そこで、現地と各地の向きを整理すると、三島江が「南」、茨木が「西」、大塚は「東」となるが三叉路を考慮し
「北」とし、これを道標に入れると下の様になる。(( )は参考の為)
北面
┌――――――――――――――――┐
│直(南)三島江 鳥飼 │
│右(西)茨木 吹田 大阪 │
└――――――――――――――――┘
西面
┌――――――――――――――――┐
│右(南)三島江 鳥飼 味生 柴島│
│左(北)大塚 枚方 │
└――――――――――――――――┘
南面
┌――――――――――――――――┐
│直(北)大塚 枚方 │
│左(西)茨木 吹田 大阪 │
└――――――――――――――――┘
これが、建設時の表現であろうとすると、現南面の「直」が一致することと、東面に紀年がある事を含め、現在2018
年では元の向きに戻されていると思われる。
明治の地図では確かに、三叉路になっており、西から北へ折れ、階段状に折れ曲がった後に東進する道を「茨木街
道」と記しており、この道は今も残っている。(昭和12年測図の地図にも東へ直通の道はない。)
依って、ほぼ元の位置、元の向きに建っているとし、過去の経緯で方向部分が読み取れなくなったとする。)
(西面、「味生」は「あじふ」と読むらしく、現在の摂津市の南西部に、明治29年から昭和31(1956)年迄あった村
らしく現在の一津屋あたりと思われ、淀川右(西)岸沿いの道筋にあたる。)
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【1.道標を南に望む |
【2.道標を西に望む |
【3.道標を北に望む |
奥(南)三島江へ |
奥へ現府道139号 |
奥(北)大塚、枚方へ |
右(西)茨木へ】 |
左端に当道標】 |
左から北へ茨木街道】 |
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【4.道標北面上部 |
【5.道標西面下部 |
【6.道標東面下部 |
右側元「直」か |
「味生」は「味舌」 |
「大阪府」から下は |
左側元「右」か】 |
でなく「あじふ」】 |
過去に埋まっていたか】 |
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【7.西横の案内板 |
元の向きに戻した |
と書かれている】 |
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【8.高槻南部の道標】 |
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