2.豊能町余野郷土資料館庭の道標

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豊能町余野1008 東能勢小学校の南、郷土資料館の入口北側の庭に東を正面に建つ
頭丸型角柱 87x30x30(頂高8p)
N34.919308 E135.496336


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東面
┌―――――――――――――――――――┐
│             (願主)  │
│ 嘉永二己酉五月中旬 堂 (かさ幸) │
│南妙法蓮華経       (世話人) │
│           島 (奈か仁) │
└―――――――――――――――――――┘
(( )部は、『石の文化財』より)

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│   上ま起 御祖(師 大阪)    │
│右                  │
│   た流ミ く尓見 (ふく井)   │
│                   │
│すぐ  妙 見 山          │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│右 妙 見 山            │
│左 みのかち王うじ(池田)      │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│   みの山 かちをうし       │
│すぐ                 │
│   いけだ 大坂 十(三)     │
│                   │
│   上ま起 御祖師         │
│左                  │
│   た流み く尓ミ ふく(井)   │
└―――――――――――――――――――┘
(「起、流、尓、王」は「き、る、に、わ」の
  変体仮名、「だ」は「多」に濁点)


(嘉永二(己酉)年五月10日とすると、西暦1849年6月29日金曜日となる。この年閏四月あり。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、4頁)
(同書に、「…池田街道は、余野で大阪と亀岡を結ぶ亀岡街道に接続する交差点に建てられていたものである。平成五
 年ごろ、資料館の敷地内に移された。」とある。
 大正の地図で見ると、元位置は三ツ辻の様で、北への道が見えない。
 箕面、勝尾寺、池田が南(現国道423を南、余野街道)を指すのは確実で、多留見、国見、福井が東への道、妙見山
 が、西(北西)への道(亀岡街道)を指すとすると、資料館より西200mの四辻
N34.919915 E135.494548
 辺りに、現東面が西面して、三ツ辻の南東、又は南西部に建っていたとすると辻褄があいそうである。
  現在の府道110号と府道109号が亀岡街道、南からの国道423号が此処まで余野街道であったと思われ、南は
 「豊能町川尻の道標」に繋がっていたであろう。)
(地名の同定であるが、「上ま起」は高槻市上牧、「御祖師」は不明、「た流ミ」は多留見で今の茨木市上音羽(多留
 見峠の東)、「く尓見」は国見で茨木市大岩辺り、「ふく井」は茨木市福井であろう。
 「かち王うじ、かちをうじ」は箕面勝尾寺で問題はないと思う。
(同書で、左面(北面)の読みが、「右 上ま起…、すぐ 妙見山」とあり、「右」としたが、「左」とも採れそう、
 どうか。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を東面上部
 左、釜と玄関柱の  右側に資料館があり  「嘉永二己酉五月中旬」
 間に当道標が見える】  後は小学校フェンス】  と読める】

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【4.道標北面の拡大 【5.道標西面の拡大 【6.道標南面の拡大
 右側が「左」とも見える  こちらの左右は  下部は埋設されており
 左側は「すぐ…」とある】  問題なく読める】  読取れない】

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【7.豊能町の道標】
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