11.豊能町吉川旧山下道の道標

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豊能町吉川 能勢電妙見口駅北西徒歩500m、高代寺参道から旧山下道分岐の辻の北西部に東を正面に建つ
自然石、三角柱(錐)状 41x東面下部25x南面下部21p、(東面上部13p)
N34.913746 E135.44218


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東面
┌―――――――――――――――――――┐
│    右 高代寺          │
│(梵字)               │
│    左 山下           │
└―――――――――――――――――――┘
(梵字「カ」は、地蔵菩薩の種子か)
(「高代寺」の「寺」は一部のみ残る)

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、74頁。)
(同書には、「明治中期まで吉川村から池田・大阪に出る街道としては長尾街道(妙見道)と山下道が使われた。山下
 道は、高代寺表参道5町付近の「山の神池」の上から笹部を経て山下(現川西市山下)に通じていた。(花折街道明
 治三十八年開通)」としており、これを明治の地図で見ると、当道標から高代寺山の300mの等高線に沿って、現新
 光風台4丁目辺りから南西にピーク伝いに笹部、山下へと出て、能勢街道に続く小径が描かれており、この辻から西
 へ進む道が旧山下道であろう。
  地図上では三ツ辻(現地では四辻)の北西部に置かれており、左右の案内は正しく示されている。
 又、「下部が失われており」とある様に、砂岩か凝灰岩のようで脆く思われ、固定もされておらず、損耗、遺失が心
 配される。)
(上部から見下ろすと平面は三角形となり、辻の状態から見て、元は後ろの土手、或いは石垣に埋め込まれていたかも
 しれない。尚、三角の断面を持つものは割と少ない。「吹田市山田東4の道標」等参照。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、山下、新光風台へ  道標は説明板右脚元に  奥の道は、地図に無い
 右(北西)高代寺へ】  奥(東)妙見口駅へ】  左高代寺、右妙見口駅へ】

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【4.道標を北西に望む 【5.道標東面の拡大 【6.道標を上部から望む
 後は土手か石垣状  「右高代寺」の「寺」  下辺が東面となる
 立掛けられている】  は、上部のみ残る】  三角形状を呈する】

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【7.横に建つ案内板
 明治38年までは
 山下への主要道とある】

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【8.豊能町の道標】
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