21.豊能町高代寺の十二町丁石

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
豊能町吉川756 能勢電妙見口駅東、花折街道の山浦橋南詰から分岐する参道から1310m
高代寺鐘楼の南東階段下、北西部に南を正面に建つ
舟底型(東面が極端に狭く、三角柱(錐)状)) 83x28x16p(頂高12p)
N34.916957 E135.437107


写真eimg9995

写真eimg9996

写真eimg9998

写真eimg9999

南面
┌―――――――――――――――――――┐
│         (慶)安三年    │
│(梵字)十二町 願主大僧都法印秀栄立之│
│         卯月八日      │
└―――――――――――――――――――┘
(梵字「べイ」は、薬師如来の種子か)
(( )部は『石の文化財』より)

東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘


(慶安三(庚寅)年四月八日は、西暦1650年5月8日、日曜日となる。)
(『石の文化財』豊能町教育委員会発行、平成28年改訂では、64頁。)
(「一町」丁石に似るが、異なる点を述べると、
 1.寺の名称が無い
 2.従是十二町が無い
 3.願主の名前が一人になり、肩書「大僧都」が付いている
 4.全高が約20p低く、幅、奥行ともに小さく、整った舟底型でない
 等が挙げられる。「一町」と対となる最後の丁石であるから、寺名が無い、「従是」が無いは当然であろう。又、僧
 名が一人になり、願主、肩書が付くのも、さして不思議はない。
  では四番目はどうであろうか、石の大きさで見れば、一番目が大きく、それ以降は小さくなることも不思議ではな
 く、「二町」以降の石と比べても特に小さいわけでは無いが、ただ一つ、形状(三角柱に近い)だけが特殊である。
 他の石は全て独立して建っているが、これのみ石段脇に立っており、設置場所の制限を受けたものではないかと想像
 するが、今の位置では特にその必要が感じられない。下記「一覧」の項で述べたように、この石は移設されていると
 し、元位置の制限を受けたものとしたい。即ち、右背面に建物、石垣、土手など障害物のある地点に立っていた為と
 思う。
  その他、苔の付き具合により、この石の方が古く見えるが、古さに関する(一町石再建の可能性)知見を持たない
 ため、ここでは止めておきます。)
(移設に関しては、「豊能町高代寺丁石一覧」を参照下さい。)

写真fimg0038 写真fimg0039 写真fimg0041
【1.丁石を西に望む 【2.丁石を北西に望む 【3.丁石を北に望む
 右、本堂下境内へ  本堂へは、鐘楼の向う  丁石は三段目辺りの
 左、現在通行止め】  より、階段を約30登る】  石段外側に置かれる】

写真fimg0011 写真fimg0003 写真fimg0002
【4.丁石南面の拡大 【5.丁石南面上部拡大 【6.丁石上部より見下ろす
 石の下端部が見える  中央「…十二町…」  舟底型とするか
 右端が欠けているか】  とよく読める状態】  三角柱とするか、下南面】

写真fimg0021 写真fimg0028 写真fimg0034
【7.丁石南面下部左側 【8.丁石南面下部中央 【9.丁石南面中部右側は
 「卯月八」と読める  右側「法印秀栄立之」  「安三年」とした
 下「日」以下は無し】  と読め、「川」はない】  左「願主大僧都法印」】

写真fimg0011 写真eimg9764
【10.「十二町」丁石】 【11.「一町」丁石】

写真eimg9535 写真eimg9524
【12.豊能町の道標】 【13.高代寺丁石地図】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ