42.能勢町吉野奥田橋の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
能勢町吉野 R477と府道106号の合流点の南50m奥田橋東詰め三叉路北西部に南東を正面に建つ
自然石 66x63x26p(上部奥行11p)
N34.983617 E135.473587


写真fimg2932

写真fimg2934

写真fimg2945

写真fimg2933

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│   よしの村           │
│右ハざい志よ道           │
│左ハかめ山みち           │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では42)
(同書に「妙見帰りなどの人が右の在所道をとらないで、左の橋から西所を通るように教えたものである。」
 とあり現在では国道477号が右になり旧道が左になるが、建立当時は左側が京・亀山(亀岡)の主要道
 であったと思われ右は村中への道であったものか。
 左、奥田橋を越え現府道106号を横切り旧道を進むとすぐに東側に、「能勢町吉野の題目道標」があり、
 此方は南行する人の為の案内が書かれている。)
(明治の地図ではこの地点は三ツ辻となり、北西奥田橋を渡る道が国道、県道、達路の何れかとして書かれ、
 北東の在所への道は聯路として描かれており、北へ直進する道は見えない。又、吉野は中央部の水田を挟
 み東西に集落が別れ、東側の方が村の中心のように見える。が、前述の様に主街道は西山裾を廻り込み峠
 へと続いていた様で、国立公文書館「天保国絵図摂津国」(天保9(1838)年)にもそれらしく(吉野
 峠は播磨谷とある)書かれ、古くから左(北西)への道が亀山(亀岡)への道であったものと思われる。
 現在(2018年)では、国道、府道が整備され複雑な交差点と成っている。)

写真fimg2513 写真fimg2520 写真fimg2954
【1.道標を北に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を北東に望む
 奥、国道を集落へ  左、橋を渡り府道を  手摺の向うは
 左、旧道の奥田橋】  越え山裾を行く旧道】  国道477号】

写真fimg2514 写真fimg2941 写真fimg2519
【4.道標を西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標上部を望む
 右、吉野、亀岡へ  「よしの村」  下辺が東面となる
 左(南)地黄へ】  「右ハ…」と読める】  厚みはほぼ均等】

写真fimg2983
【7.旧道の題目道標前より東を望む
 右奥へと続く旧亀山道、突当り奥田橋
 左端が国道と手前左右府道106の合流点
 在所道はガードレール上部を北に進む】

写真fimg3232 写真fimg3225
【8.能勢町西部の道標】 【9.能勢町東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ