39.能勢町吉野道分けの道標(不明)

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能勢町吉野 R477と府道106号の合流点の南50m奥田橋東詰め三叉路北西部に南東を正面に建つ
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では39、現在不明かと思われ、同書の内容を載せる。)
自然石 高さ58.5x横幅40.0p
N34.985783 E135.472222


写真fimg2988

正面
┌――――――――――――――――――┐
│   元禄七甲戌年         │
│右 きねのミや道          │
│左 いけたミち           │
│    四月二日          │
└――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では39に「現在××家の倉庫付近にあるが、元は南の峠の道分け
 に立っていた道標である。…そのころはこの道分けでまっすぐ浜湯場へ抜ける道が岐尼の宮道で、左方奥
 田橋へ下って行くのが池田道であった。」とある。
 同書の記述の倉庫を手掛かりに、現在位置を探したが見つからず、元位置に行くため地図で当たりを付け
N34.985033 E135.471571
 辺りとし、そこに登る地点を二ヶ所ほど見たがそこにも無く、元地点へも行けなかった。
 「能勢町吉野の題目道標」との関係で是非と
 も見つけ出したいものである。
 尚、「浜湯場」は現「能勢町倉垣315」辺りとした。
 明治の地図では下記写真3の地点から西の七面寺へ続く道が書かれており、直線300m辺りの尾根で北か
 らの道があり「道分け」の表現からすれば此処かも知れないが道標が必要とは思えず、「題目道標」のあ
 る地点が主要道の分岐点が峠かどうかは怪しいが「道分け」である可能性が高い。)

写真fimg2989 写真fimg2993 写真fimg2994
【1.現地と思われる所に 【2.現地の南の辻を南に望む 【3.更に南の同様地点
 道標風の石が有ったが  元位置への進入口の  山に向かう道は
 文字の痕跡は無い】  内の一つではないか】  七面寺へと続くか】

写真fimg3232 写真fimg3225
【4.能勢町西部の道標】 【5.能勢町東部の道標】
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