38.能勢町吉野ひいらぎ峠の道標

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能勢町吉野649 国道477号、京都府との府境(ひいらぎ峠)の四辻西側の斜面に、南東を正面に建つ
(すぐ上に「吉野ひいらぎ峠京都府境の標石」が建つ)
山型角柱 135x20x13.5p(頂高6p)
N34.993966 E135.476455


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南東面
┌────――――――――――――――┐
│能勢妙見山御本殿迄是ヨリ七十五丁  │
└――─―――――――――――――――┘
(「迄」はシンニュウに「占」、「ヨリ」は横書き)

北東面
┌────――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――─―――――――――――――――┘

北西面
┌────――――――――――――――┐
│明治三十四歳            │
└――─―――――――――――――――┘

南西面
┌────――――――――――――――┐
│ 関根源三郎立之          │
└――─―――――――――――――――┘





(明治三十四年は西暦1901年となる。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では38)
(同書に「ここから妙見山本殿までもう二里ほどで達することを示し…峠の茶屋の関根源三郎が明治34年に
 立てた…」とあり、明治期には茶屋があった様だ。75丁は2里3丁に等しい。尚南西面「建之」とするは
 誤植と思う。)
(道標南横にある能勢町教育委員会の「吉野の関跡」解説板に、「摂津から京・亀山道、丹波からは池田・
 妙見道として、摂丹を結ぶ最短路であった、…戦国時代には…必定的に軍道として関所の機能が存在した
 と考えられる。」とあるだけで、道案内を必要とする程の辻では無かったかも知れない。明治以前の旧道
 を今の地形から想像すると、北東から来て、道標前を通り南西へと蛇行するだけの道で、東西の道は見え
 ない様だ(今は四辻)。明治34年時点でも変わらなかったものなら大きな移設は無かったであろう。)
(南西面の施主の下にある「立之」は一般的には「建之」が多く、何か今風の書き方にも思える。)
(妙見山75丁(8.2q)は実測できていない。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を北西に望む
 奥(北)亀岡へ  奥旧道吉野集落へ  中央に当道標
 左、地黄、田尻へ】  左右は現国道477】  右は道標】

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【4.道標南東面を上から 【5.道標南東面下部 【6.道標南西面拡大
 「能勢妙見山御  「妙見山御本殿迄  施主の下にある
 本殿迄是…」】  是ヨリ七十五丁」】  「立之」は珍しい】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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