65.能勢町地黄南町集会所東の道標

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能勢町地黄665 旧道能勢街道、南町集会所の南東の三ツ辻の北西部、に西を正面に建つ
(ガードレールと北側の溝との間)
尖頭型角柱 47x14x15p(頂高2p)
N34.95505 E135.459139


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│す                 │
│  妙見道             │
│ぐ                 │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│      (尓し山むら)     │
│御志やかとう(道)         │
│      (こ連より八丁)    │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では65)
(同書に「地黄南町の防火用水池付近から西の木野へ通じる道があって、この池畔に立つ」とある。2018年
 現在、池は蓋がされ、その西に南町集会所が建っており、出版時の位置のままではあると思われるが、埋
 没が進んでいる様だ。又、「御志やかとう道」より、釈迦堂の再建がなった文化年間(1804〜1817)の
 造立であろうとしている。「釈迦堂」を能勢町野間西山にある「今養寺」の釈迦堂とすれば、当地より南
 西へ直線でも1qあり、「八丁」となれば、西山集落北端までの距離と解釈するとして、東面或いは北面
 している必要がある。この時現西面は南面又は東面する事となり、「すぐ妙見」が北か西を指し辻褄が合
 わなくなる。西面の追刻と設置面の回転が有ったとの説を出さなければ、道標はこの位置に建てられたも
 のでなく移設を考えねばならない。
  西面「すぐ」の横書きや、「妙見」の字のくずし方が少ないや、南面に比べ線が細い、等で追刻の可能
 性もあるが、移設を考えてみる。
 明治の地図によると、現地より西230mに北の清普寺から南へ下る道が合流する三ツ辻があり、
N34.955370 E135.456643
 この北西部に、今の向きのまま設置すると、「すぐ妙見道」が東を指して現在地を経て南へ進むとすれば
 問題は無く、南面は西山村でない方面から来た人にとっては正面に見え、釈迦堂へは西に進む事を知らし
 めてこれも問題なしとなる。一方西から来た人が南面を見た場合は、西山村方面から来たわけで、南面の
 案内は無視し、東から来た人は西に進み釈迦堂へと受け取ることが可能であろう。唯この地点から、今養
 寺南の西山集会所の辻まででも1qとなり九丁となり1丁足りない。距離にやや難があるが丘をショート
 カットすることも可能に見えることから、ここを元位置候補としたい。
  尚、この辻は現在では圃場整備の為、田圃の真ん中となって跡形もない。移設の原因でもあるか。)
(同じく、南方から釈迦堂を案内する「野間稲地釈迦堂への道標」も参照下さい。)
(西山村は国立公文書館の「天保国絵図」にも載っており、野間中村の南で野間川の北に能勢街道(吉野道)
 から西に分かれ西山村方面に続く道が書かれている。ただしこの辻に立っていたものではないと思う。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南西に望む
 左(北)倉垣橋へ  右、東郷バイパスへ  ガードレール右に当道標
 右、野間中、妙見へ】  奥(南)野間中へ】  中央山後に今養寺】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面を上から望む 【6.道標を北に望む
 「すぐ」は横書き  丸味を持つ上面は  ゴミ篭の後ろに
 「妙見」は楷書風】  よく触られた為か】  隠されている道標】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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