66.能勢町地黄旬村公民館南の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
能勢町地黄99−3 旧道能勢街道、旬村会館南側広場の南部に北を正面に建つ
尖頭型角柱 71x18x18p(頂高4p)
N34.951185 E135.457609


写真fimg3122

写真fimg3793

写真fimg3123

写真fimg3124

北面
┌――――――――――――――――――┐
│神田橋               │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│能勢街道              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│明治三十九年十一月架設       │
└――――――――――――――――――┘


(明治三十九年は西暦1906年である。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では66)
(同書に「旬村公民館の北・西面を巡るように流れる小川の屈曲近く旧道が南北に通り川には神田橋が架か
 るこの橋の袂。」とある。「旬村」は「とか」と読むかもしれない。
 明治28年刊の地図で見ると当地点での道の分岐は書かれておらず、ほぼ直線的に能勢街道が通っており、
 川を渡っている。この川の位置が現在と変わっていなければ、元の位置は今より50m北と思われ、橋が
 南北に架かっていたであろう。この橋を架け替えた折に橋の銘を刻んで立てた碑石であろうと思う。
 一応道標として載せておく。)
(街道名の有無は不明であるがよく似たものに「吹田市垂水町1の糸田橋石柱」があり、これは明治三十六
 年十一月とある。)

写真fimg3130 写真fimg3131 写真fimg3132
【1.道標を北東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東に望む
 左(北)倉垣橋へ  左、旧街道筋か  左端角柱が当道標
 右、野間中、妙見へ】  右白建物が旬村会館】  右奥、野間中、妙見へ】

写真fimg3134 写真fimg3121 写真fimg3126
【4.道標を東に望む 【5.道標西面上部 【6.道標東面拡大
 左奥へ旧国道477  この面が旧街道に  「…治三十九年…」
 左手前は旧街道か】  平行に置かれている】  と読める】

写真fimg3232 写真fimg3225
【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ