63.能勢町野間稲地613の道標

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能勢町稲地613 国道477の野間稲地交差点を東へ160m、府道4号の五ッ辻南東部に南西を正面に建つ
自然石 44x48x28p
N34.946323 E135.45324


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南西面
┌―――――――――――┐
│左 妙見(山道)   │
│   永(福講中)  │
└―――――――――――┘
(( )部は『能勢の道しるべ』より)

東面
┌―――――――――――┐
│(なし)       │
└―――――――――――┘

北面
┌―――――――――――┐
│(なし)       │
└―――――――――――┘


(左右を側溝、前を受け枡に囲まれ、多く埋没している。)
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では63)
(同書に「…大けやき前からの能勢街道旧道は×電出張所裏付近で、野間稲地在所へ通ずる細道が南東に分
 岐する。妙見山同方向にあるので、この在所道とまちがいやすく、ここに…の道標を立てて、能勢街道を
 北東に進むよう教えている。」と書かれているが、明治の地図では当地点は一本道に描かれ辻はない。
 東西の現府道4号は無く、南へ分岐し田中を稲地の集落に進む道も描かれていないのである。地図に書か
 れていないから道は無かったとまでは言わないが、もし南へ分岐する道があったとして、道標を必要とし
 たのであれば、よほど右に行き易かったのであろう。(大正15年地図では三ツ辻に描かれている。)
 西から東へ進む「妙見山道」は当地点で蛇行しており、地形の関係で確かに一度北東(感覚的には妙見山
 とは違う方向)に進んでいる為、辻があったなら安心の為設置されていても良いであろう。
 現在地は三ツ辻であったものとして、道標はほぼ元の位置と考えられるが、前述の書にもある様に幾度か
 の移設は間違いなく受けており、現状では遺失(埋没)の可能性も高い。)
(施主であろう「永福講」は同書から引用したが、これが正しければこの西、約1qにある「出野の道標」
 の側の常夜燈に同一の講名があり「天保三年」とあるので、これも同時に設置されたものではないか。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北東)旧道へ  奥(南)稲地集落へ  右、現府道稲地交差点へ
 右奥、現府道妙見へ】  カーブミラー右が妙見山】  左奥、旧道で交差点手前へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標南西面拡大 【6.道標南西面下部
 奥へ旧道が残るが  中央「左 妙見…」  右側には「山道」
 杉の手前東へはほぼ消る】  左端に「永」がある】  左「福講中」と続く様】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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