20.能勢町稲地昭和の道標

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能勢町稲地133 国道173号来栖交差点から西府道602を700m今西の辻を府道603号南へ330m変則四辻の
南西部に東を正面に建つ
(辻の北東にもう一基稲地の道標が建つ)
板碑型 92x26x11p
N34.965484 E135.391148


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東面
┌―――――――――――――――――┐
│(左矢印)西能勢妙見山参道    │
│          是ヨリ六百米 │
└―――――――――――――――――┘
(矢型印は浮彫)

北面
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│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

西面
┌―――――――――――――――――┐
│(なし)             │
└―――――――――――――――――┘

南面
┌―――――――――――――――――┐
│ 昭和三十四年六月建之      │
└―――――――――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では20)
(同書に「…能勢妙見山に対して稲地妙見山を、当時の村名をとって「西能勢妙見山」と称したものである。
 戦後当所妙見山が復興したころの造立で、文字は地元の田中蕗香の筆になる」としている。国土地理院2.5
 万分の1地図ではここより南西に寺院の記号がありこれが約600mの距離になる。未踏査である。
 大正15年の地図では、当辻は三ツ辻のように見え、西への長谷循環道(前書に言う)は存在しなかったであ
 ろう。依って南(参詣道)と南東(平野、上杉方面)の区別さえできれば事足り、参詣道のみ示したと思わ
 れる。指型の矢印は明治期に多いが、矢型の矢印はそれよりも少ないと思う。
  尚、辻の北東側にあるこれよりは古いであろう道標では「当所妙見道」とされるが、こちらは「参道」と
 明確に寺を示している。)
(同書に載る写真では道に対して各面が平行になっているが現在はやや角度を付けて立っている。新道の建設
 や道の拡幅などによる近接移設は避けられないであろう。)
 
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【1.道標を西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を東に望む
 奥(西)長谷循環道  奥、西能勢妙見山か  K字状の変則四辻
 左、西能勢妙見山か】  左、(南東)平野へ】  止まれの白線が府道】

写真fimg4712
【4.道標の東面拡大
 左矢印は浮彫と
 なっている】

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【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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