26.能勢町上杉の地蔵道標(不明)
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能勢町上杉 府道603号が兵庫県から大阪府へ入って80m東の府道東下辺りにあったらしい
(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では26を参考に載せる)
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高68p,幅15p
N34.942018 E135.393241
正面
┌―――――――――――――――――┐
│ 右ハ山中山 │
│(地蔵像) 道 │
│ 左 池 田 │
└―――――――――――――――――┘
(同書に「府道のカイモリ峠道から旧道の峠道へ向かう三差路付近の府道東下方にあって、昔から位置は変
わっていないようである。」とあり、「旧道の峠道へ向かう」が明確でないが、明治の地図で府道から猪
名川町民田に分岐する三ツ辻が見えるのでこれとして、付近を捜してみたが見つからなかった。
尚、南へ分岐する道は、資材置き場への進入路になっており、辿ることができなかった。少し藪中へも
入ったが不明。
又、同書に「…三個に折れ中央部は亡失している。…左池田道とは読み取れる。…池田への道は左折し
て民田から小部峠へ向かう丹波街道である。」としているので、現府道603のカイモリ峠は丹波街道では
なかったものと思われる。とすれば「右ハ山中山」が現府道を示すことになり、阿古谷から紫合で明治期
の「篠山街道」に出る案内であるなら、中山を宝塚の中山寺としてもよいかもしれない。
川西市の赤松に中山寺を案内する道標
がありこれにつながるか。)
【1.道標の地点を南に望む
【2.明治の頃のカイモリ峠
【3.辻の南府道の東下辺りを
奥(南)池田へは道無
辺りから南西を望む
西に望むが道もない
右、カイモリ峠鞍部へ】
下に現府道が見える】
前書写真では背景が土手】
【4.能勢町西部の道標】
【5.能勢町東部の道標】
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