13.猪名川町上野の大道標

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猪名川町上野町廻14 猪名川町役場前の道から内馬場への道が分岐する三ツ辻の北東部に
南を正面に建つ(すぐ西の小さい道標と二基が並ぶ)
(府道12役場前交差点南60m、上野バス停脇三ツ辻北東部。)
角柱 74x21x18p(左右整面幅14p)
N34.894075 E135.376873


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│原荒神               │
│     善福寺          │
│摂津名松              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│ (右指差図)山下妙見道      │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│ 大正十三年十月          │
│   施主 本間生仲        │
└――――――――――――――――――┘


(大正十三年は西暦1924年となる。)
(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では15)
(同書では「善福寺にはみごとな松の大木があったらしい。」とするのみ。)
(東面に「(右指差図)山下妙見道」とあるので道標と言えるが、もしこれが無かったなら、寺標又は
 名勝案内となる。なぜこの様なことを書くかと言えば東面の道しるべが稚拙であるのと、石の表面が
 南面、西面に比べ平滑度が低く見える。即ち追刻では無いかと思われるからである。現在西横の道標
 が過去には半分以上埋もれていたようで、この寺標に、妙見山への案内を追刻して代用したのではな
 いかと考える。「右」や「左」を書かず指差し図を用いるのは、明治、大正の頃の流行の様である。)
(善福寺の入口はここから930m程と少し距離があり、ここで分岐するのは自然であるが、方向や距離
 が書かれていないことと、設置の向きが道と平行な点も気になる。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を南に望む
 右、町役場、篠山へ  左(北)町役場へ  左(北東)妙見へ
 左(南)池尻、野尻へ】  奥、善福寺へ】  奥(南)野尻へ】

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【4.道標二基を北に望む 【5.道標東面上部拡大 【6.道標西面拡大
 右側大きい方が  (右指差図)「山…」  「大正十三年十月」
 当道標になる】  と読めるが稚拙である】  「施主本間生仲」】

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【7.猪名川町北部の道標】
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【8.猪名川町南部の道標】
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