21.猪名川町原の道標

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猪名川町原蔭ノ田323 猪名川町役場から原岡垣内に続く旧道から東松尾台へ分岐する三ツ辻の北東部に
南を正面に建つ
(旧道は今のさくら通りの西、山裾部を南北に走る。)
自然石(上部角錐、下部角柱状) 55x20x東面25p(西面26p)
N34.902112 E135.384327


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南面(やや西を向く)
┌――――――――――――――――――┐
│左 三田              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│右 妙見              │
└――――――――――――――――――┘


(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊では13)
(同書では「現在は日生団地松尾台入口の目標になっている。」とだけで解説されていないが、奇妙な
 道標である。通常の道標は正面から見て右側に「右」、左側に「左」の行き先を書くが、この道標は
 完全に逆に書いている。現在この三ツ辻の北にT字路があるが、明治の地図ではその道はなく、この
 三ツ辻のみが書かれ、今と同じく南から東方向に徐々に曲がっていく形状となっており、まるで電車
 の線路が分岐するかの如くである。この北側の鋭角な部分に置かれているのは北行する人用ではない。
  即ち、東から来て南北の道に合流する人用で、三田へは「左側(南)のみちですよ」と示すと解釈
 すれば納得でき、北行する人には正面に見えるが目をつむってもらうことにする。
  しかし、西面の「右妙見」をどう解釈すればよいのか。妙見への道が一庫(現松尾台)方面である
 なら、「右」を南への道と取らず、道標を「右に回り込む」と解釈しなければならず苦しい。これを
 素直に「右」南への道と解釈し明治の地図に従って、善福寺の南まで進み、東に分岐し猪名川を渡り、
 猪名川町原郷蔵垣内から松尾台の南とゴルフ場を通り抜け、旧丹州街道を横切り川西の山原(山野原)
 に出て山下に至り、その後妙見山となりそうだが、現在(2019)ではこの道が確認ず、ここを東に行
 くか、南に行くほうがよいのか判断ができない。(この場合一時的に三田と妙見山が同一道となる。)
  東が正解なら難しい解釈を迫られ道標の意義がなくなる。この様な時の常套策として、追刻などを
 考えると、現南面の「左三田」は西面に比べコナレタ感があり、西面は楷書的な筆跡で多分同一人物
 が書いたものではなさそうとする事も出来て、その可能性は高いかもしれない。
  一番手っ取り早い解決策は、現西面が南面していて右が東を指し、現南面が東面となり左が南を指
 すように、当地で90度反時計回りに廻して置かれていたとする。「上野の小道標」も参照。
  30m北の道が付けられて移設の可能性も考えられるなども含め今後の調査としたい。)
(追記、『猪名川の街道』教育委員会1997年刊に妙見道の記述はないが、当道標地点から東に続く道
 を「妙見道」とする絵図が載っている。これにより、上記回転説で全て解決となる。
  即ち、道標は元の位置のままとし、現西面が、南面して置かれており、東松尾台への道が妙見道
 であった。上記の「上野の小道標」から北上してきて、ここで東に分岐する。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を南西に望む
 左(北)原岡垣内へ  奥(南)町役場へ  右(北)府道68へ
 右、川を越え松尾台へ】  左、さくら通りへ】  左(南)町役場へ】

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【4.道標を北東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標南面拡大
 右側に「左三田」  南行時左手に楷書の  南から来た時は
 左側に「右妙見」】  「右妙見」が見える】  正面に「左三田」】

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【7.猪名川町北部の道標】
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【8.猪名川町南部の道標】
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