5.猪名川町六瀬の道路元標(道標ではない)

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猪名川町木津島向3 県道12の旧道、木津橋北詰東側四辻の北東部に南西を正面に建つ
(すぐ西に「地蔵道標」がある)
頭丸扁平角柱 88x25x25(頂高6p)(基部26p含む)
N34.937498 E135.339516


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南西面
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│六瀬村道路元標           │
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南東面
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│(なし)              │
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北東面
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│(なし)              │
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北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
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(『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊には記載なし)
 六瀬村は、1889年(明治22年)町村制の施行から1955年(昭和30年)猪名川町成立まで存在。
 1919年(大正8年)の旧道路法では各市町村に一個ずつ道路元標を設置することとされていた
 (いずれも、Wikipediaより)
(疑問点、六瀬村の中心地(役場)は現笹尾の六瀬中学校の南東に有った様で、これからすると元標設置に
 相応しいのは、府道12と府道319の分岐点の三ツ辻辺りと思われるが、南へ約3kmも離れた現在地にあ
 るのは何故か。すぐ西に立つ「地蔵道標」の南東面の行き先にも、「右ハ六つのせ」とあることから、
 少なくとも「六つのせ」の中心では無いと思われる。
  ここにした理由は、橋の南に東の槻並へ向かう道があり三田や宝塚市上佐曽利の西方からの道との四辻
 の様な地点にあたり、通行量が多かったものと想像する。)

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【1.元標を北東に望む 【2.元標を南東に望む 【3.元標を東に望む
 左(北)楊津小学校へ  奥、猪名川の木津橋  左奥(北東)府道12へ
 右、現府道12へ】  を渡り府道12へ】  当時の幹線道路】

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【4.元標南西面拡大
 「六瀬村…」とあり
 ここが中心地か】

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【5.猪名川町北部の道標】
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【6.猪名川町南部の道標】
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