38.猪名川町差組墓地入口の道標(不明)
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猪名川町差組(墓地入口) 猪名川町差組字御坊19とある道標を捜したが不明である。
N34.87624 E135.380912
『猪名川町の道標』教育委員会1979年刊の33の内容を載せておく。
旧所在地 猪名川町差組字御坊19
自然石 86.5px37px30p
差組と清和台の境で、差組の墓地入口にある。
倒れていて、おこせないので裏面が読めない。
┌――――――――――――――――――┐
│ 右 中山道 │
│南無阿彌陀仏 │
│ 左 いけだみち │
└――――――――――――――――――┘
(上記の位置では墓地への道が分岐するのみでそこから先の道が無い為道標設置の必要性は無く、移設さ
れていた可能性が高いと思う。(ただし、明治の地図では石道へ下る道が見える。)
差組にお住まいの方数人に尋ねると、果たして他に二ヶ所候補があり「確かに見かけたことがある」
との事で辻らしき地点を見たが何れも見つけられなかった。又、住所の「字御坊」は解らなかった。
其の内の一ヶ所は、上記の墓入口より280m北(下)の
N34.878577 E135.379829
この三ツ辻状の地点は南へ山を登って清和台へ出る今の舗装道を右中山道とするなら、左は南東方面に
向かって登っていることから虫生から「池田」としても良いと思えるが、明治の地図にも現在の地図に
も記載されていない。少し登ってはみたが先は未踏査である。
もう一ヶ所がその地点よりも50m北(下)で現代的な民家の南側三ツ辻で、中山道から北東に分岐し、
川西市石道茶屋垣内に下る道があり、これは明治の地図に記載されている。西面していたとし、右は登
り中山道、左は下り石道から池田と解釈可能な地点であるが、ここも見つからなかった。
N34.879035 E135.379655
辺りになるか。)
(この道の南に続くと思われるのが
「川西市赤松北谷の道標」
で、墓地入口から清和台に出ずに400m程
の距離である。この道標が見つかれば道筋がハッキリ分かるだろう。)
【1.墓地を北東に望む
【2.候補地2を南に望む
【3.候補地3を南東に望む
ここから先は墓地
右(北)清和台へ
左奥(北東)石道へ
入口はここの事か】
左、不明の道】
右、清和台へ】
【4.猪名川町北部の道標】
【5.猪名川町南部の道標】
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