8.三田市桑原の道標

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三田市桑原370 JR福知山線高架下の道の西側、道の北に南東を正面に建つ
尖頭型角柱 125x28.5x31p(頂高9p)(西側新道標 124x30.5x30.5p(頂高9p))
N34.880901 E135.246083


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南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│右 加ぶらい寺道           │
│       十五丁         │
└―――――――――――――――――――┘
(「加」は変体仮名「か」、「右鏑射寺」か)

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  檀越家柴田氏           │
│之日弘化三歳在丙午猛秋下浣日現住明道代│
└―――――――――――――――――――┘
(「之」は古字か「山」の下に「┴」と刻む)

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│  聖徳皇太子            │
│左      靈場山中光明寺 道   │
│  薬師如来       十二丁   │
└―――――――――――――――――――┘


(弘化三(丙午)年七月21日なら、西暦1846年9月11日金曜日となる。「猛秋下浣日」は陰暦七月下旬の意)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では8)
(同書に「旧道標の南隣に新道標が有る。銘文は全く同じである。福知山線複線工事にて西側へ移動。」と
 あるが、明治に地図でも線路の西側に三ツ辻があり拡幅により西へ移動させたものと思われ、東側からの
 移設という意味ではなさそうで近接移設としたい。案内の向きから見て元は三ツ辻の南東部にあり、今の
 南東面が南西(時計方向に90度回して)に面していたと考えられる。
  尚、新道標の南東面の銘文で「右かぶらいち道」とあるが、「寺」のくずし字を明らかに「ち」として
 おり誤りであろう。)
(この辻の北西には「下田中山彦橋の道標」があり、その道標の「右 山中やくし加むらじ」がここの
 「右 加ぶらい寺道」と同意とし、神戸市北区道生町生野にある「鏑射(かぶらい)寺」を示すものなら、
 この三ツ辻から南へ、武庫川左岸沿いに十五丁(1.6km)程の道として明治の地図に見ることができる。
 「左光明寺」も同地図で1.4kmと十二丁として問題はなさそうである。)
(各寺院のHP等によると、鏑射寺の再建が文久二年(1862)、光明寺は文化元年(1804)に伝法開祖を勧請、
 とあり、道標建立(1846年)の点からは光明寺が主眼であったものかも知れない。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を西に望む
 左線路の下の通路前  高架を潜り光明寺へ  後方土手の並木は
 に二基見える道標】  右が元の道標】  山田川、武庫川合流点】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標北西面上部 【6.新道標北西面上部
 「右 加ぶらい寺道」  「之日弘化三歳」  「之日弘化三歳…」
 背後(南東)鏑射寺へ】  奥(南東)鏑射寺へ】  と読める】

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【7.新道標北西面中部 【8.新道標北西面下部 【9.新道標南東面
 「在丙午猛秋下浣日」  「下浣日現住明道代」  「かぶらいち」の
 ひのえうま七月下旬】  と読める】  「ち」は「寺」】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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