7.三田市下田中山彦橋西の道標

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三田市下田中327 山田川山彦橋と西の小橋の間の北側下の護岸壁前に西を正面に建つ
自然石 96x72x43p
N34.881397 E135.243845


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│ 右 山中やくし加むらじ      │
│奉納西国巡礼供養塔         │
│ 左 京阿た古免ふけん道      │
└――――――――――――――――――┘
(「加」は変体仮名「か」とした)
(「阿、古、免」は変体仮名「あ、こ、め」、
 で、「京、愛宕、妙見」であろう)

南面
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│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│     同行十一人        │
│文化四夘四月吉日          │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(文化四(丁卯)年四月1日とすると、西暦1807年5月8日金曜日となる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では7)
(同書では桑原山彦橋となっており移設されたものか。(現在2019年では桑原は山田川の東地域)
  「下田中の道標」で推定した元位置から旧武庫川の北側にあったと思われる道を東進して来ると出会う
 のが当道標である。その道標にもあった「京、愛宕」がここでも案内されており、京都方面への道筋であ
 った事が窺えるが、右の案内が不明である。
  前半の「右山中薬師」は間違いないと思うが、「かむらじ」が神戸市北区道生町生野にある「鏑射寺」
(「かぶらいじ」と読むらしい。)がなまったものとして此処を指すものであれば、山田川を渡り武庫川左
 岸沿いに2kmほどの道が明治の地図で確認できる。
  そこでこの道標の元位置を考えてみると現在の位置で問題は無いと思うが、明治の地図では小川の左岸
 に京への道が描かれており今の様に土手下ではなく堤上にあったか、或いは山田川右岸の土手が嵩上げさ
 れ下部に取り残されたと思われる。)
(右に当る山彦橋を渡り右折れし未舗装の道を道なりに200m強で「三田市桑原の道標」にでる。その道標
 には「右かぶらい寺」とあり「右鏑射寺」である。)

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【1.道標を南東に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標辺りを西に望む
 木の後ろに山彦橋  奥、橋を越え桑原へ  ブルーシートの左
 木の右下に当道標】  左は小川の土手道】  法面に隠れて見えず】

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【4.道標を東に望む 【5.道標東面左部 【6.道標東面右部
 道標と気付かない  「文化四夘四月吉日」  「同行十一人」
 コケにより読み難い】  と読める】  と読める】

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【7.道標西面左下部 【8.道標西面右上部 【9.道標西面右下部
 「…免ふけん道」は  「右山中や…」  「かむらじ」は
 「妙見道」とした】  と読める】  「鏑射寺」か】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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