70.三田市下槻瀬地蔵の道標

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三田市下槻瀬16 県道323号木器北バス停より北折れ140m道の東部に北西を正面に建つ
(一見一本道だが、道標から東の竹藪中に続く細い道があり三ツ辻ではある。)
(すぐ後には「下槻瀬の道標」が建つ)
地蔵型 57x27x19p(像部下から19より28x23x3p)
N34.936238 E135.279356


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北西面
┌――――――――――――――――――┐
│    右いけた(大坂)      │
│(地蔵像)             │
│    左あたこ          │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では70)
(同書では「左のせ□」としているが、「左あたこ」の間違いであろう。すぐ後ろの道標には「左妙見京」
 とあり京と愛宕は同じ案内と出来る。
  明治の地図で当辻が、南(右)は「大坂道」、東(左)は「京道」の分岐点である事は、すぐ後に建つ
 「下槻瀬の道標」の項で理解いただいた上で、同書にある「左のせ□」を「能勢の妙見」とした場合
 どちらへ進めばよいであろうか。同書の読みでは「左」となり、後ろに建つ道標に従えば「右」となって
 しまい、不都合であろう。
  もう一点、「左」の次の文字の入りが左から右上に上がり、クルッと左に回った後、下に下りているの
 で「の」の筆使いとは異なっており、これを変体仮名「乃」として左から入ったとしても左回りに反転さ
 せる事はないと思う。「あ」の一画目と二画目が繋がったとする方が理解しやすい。三文字目は「た」と
 するには二画目の縦棒が良く見えず「多」の変体仮名とすべきかも知れない。四文字目は明らかに「こ」
 である。依って「左あたこ」或いは「左あ多こ」とする。
  後ろの道標との関係を考えるとこちらの方が旧い(わざわざ小さいものを作らない)と思うが、真後ろ
 の浮彫を補おうとして建てた場合や、移設されてきた場合は新旧は問えないであろう。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を西に望む
 左奥、下槻瀬公会堂へ  奥(東)柵沿い京へ  左、木器北バス停へ
 中央電柱後に当道標】  右(南)県道323へ】  右、下槻瀬公会堂へ】

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【4.道標を東に望む 【5.道標北西面拡大 【6.道標地蔵像部拡大
 奥に続く京道  「右いけ…」  左に錫杖を持つの
 手前が当道標】  「左あた…」】  で地蔵像とした】

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【7.道標北西面左下部 【8.道標北西面下部 【9.道標北西面右下部
 「左あたこ」  『さんだの道標』では  「右いけた」
 「あ」の左はキズ】  「左のせ」としている】  一番下は「大」か】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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