37.三田市加茂422の道標

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三田市加茂422 国道176旧道、青野川の加茂大橋北詰20mの三ツ辻北部に東を正面に建つ
(住宅擁壁前の電柱東にあり、「飛び出し坊や」にも隠されがち)
尖頭型角柱 39x21x21p(頂高3p)(径6pの盃状穴あり)
N34.92712 E135.196244


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│  右ざい(しょ)         │
│(梵字)              │
│  左きよ(水)          │
└――――――――――――――――――┘
(梵字は「カ」地蔵の種子か)
(( )部は『さんだの道標』より)

北面
┌――――――――――――――――――┐
│  明和六(年)          │
│  丑八月吉(日)         │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(明和六(己丑)年八月1日なら、西暦1769年8月31日木曜日になる。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では37)
(当地を明治の地図で見ると、青野川に架かる加茂大橋のすぐ北にあり、北西に宮脇への道、西に上井沢の
 集落から武庫川を渡り広野駅への道が見える。北西への道が現在の国道176に相当するものであろうが、
 道標の建設当時丹波に行くには宮脇に出ると武庫川を越えるのが難しかったと思える。依って「右丹波」
 とせず「右在所」は妥当であろう。明治の地図では右の道を採り武庫川を渡っている橋が現在(2019)
 では歩道橋(自転車も可)として残っていることもその証拠となるのではないか。
  尚、「左清水」とする道は、すぐ坂を上る幅2m程の道でバイクより大きなものは通れないが、上井沢
 を過ぎると武庫川の岸辺に下り塩掛橋を渡り「廣沢の道標」に続く。)
(道標の頂部に「盃状穴」がある事から元はもう少し高いものであったと思われる。舗装の度に低くなった
 ものか。元位置についても、在所道側が広くなっており建設当時より西に下げられていると想像できる。
 又、現南東陵の疵が多い点と北面(紀年)が眼に付き易くなる事から、右に45度回転(加茂大橋に正対)
 して立っていたように思う。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 右(北西)宮脇へ  右下に当道標  奥、上井沢交差点へ
 左、上井沢交差点へ】  左上、加茂大橋】  右(北西)加茂神社へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面拡大 【6.道標北面拡大
 元位置より後退し  「右ざい…」  「…六年」
 向きも変わったか】  「左きよ…」下は?】  「…吉日」はほぼ読める】

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【7.道標を南西に望む 【8.道標を北西に望む 【9.道標を南西に望む
 上部に盃状穴が見える  「左清水」道より  電柱を見ると舗装
 今は触り難い高さ】  「右在所」道が広い】  の嵩上げが分かる】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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