73.三田市波豆川288の小道標

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三田市波豆川288 県道323号波豆川口バス停より北に折れ2.6qの三ツ辻北西部に南を正面に建つ
(フィールドアスレチック施設入口の北側、三ツ辻東は大きな駐車場になっており四辻か)
(二基並んで立つ内の北側の小さい方、大きい方はこちら
山型板碑 33x23x8p(頂高8p)
N34.95927 E135.293118


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│左ハさゝや(ま)          │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『さんだの道標』より)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では73)
(同書で正面の読み下しを「右ハさゝやま」としているが、「左」の誤りであろう。又「平成9年整備」と
 あるのでこれは隣の大きな方と同じ理由であろう。「三田市波豆川288の道標」を参照ください。
  さて「左」の理由は、旁の部分が「乙」の様に見え「右」の「〜」の様には見えない為である。又、地
 理的に現在の向き(南面)で「右」とすれば北方向を示し、この先は道が無くなっており篠山には行けな
 いからである。もしこれを「右」とするなら北面させる必要があるが、北から来る人は在所の人以外に考
 えられずワザワザ案内する必要はない。明治の地図では北への道は小径で描かれているが、北進後に西へ
 折れ川原(高平地区か)に出る事となり遠回りとなりまた険路の様に見え勧められない。
  即ち、南に建つ大きな方の道標が示す「右(北)在所」方向は篠山でなく、「左(西)高平」への道が
 「篠山への道」であると案内する道標である。
  『北摂続羽束の郷土史誌』西村忠孜2000年刊の「大船山越え街道をたずねて」に西十倉への道を麻田藩
 巡見士の通る道とし修験者も通った為「通称『じごどうみち』又は『じげんどうみち』と言う。」とある。
  南面の右端に「こ」と読める字がありそうだが、一部欠けており手掛かりもないので無いものとした。)
(移設時に背丈が低くなったと思われ「さゝや」の下の「ま」の一部が見えるが、確定ではないとした。)
(尚、移設時に若干考慮されたものか、大きい方は左右を案内する為か南東(南南東)に向き、当道標は南
 面させられている。何れもセメントで固定されて残念である。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む
 電柱左に二基  右奥(北)集落へ  右(西)十倉へ
 大きい道標の後ろ】  左、高平、篠山へ】  奥、波豆川へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標南面下部拡大
 右が当道標  「左ハさゝや」  「左ハさゝや…」
 南面して建つ】  「右」ではなく「左」】  下は「ま」であろう】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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