72.三田市波豆川288の道標

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三田市波豆川288 県道323号波豆川口バス停より北に折れ2.6qの三ツ辻北西部に南東を正面に建つ
(フィールドアスレチック施設入口の北側、三ツ辻東は大きな駐車場になっており四辻か)
(二基並んで立つ内の南側の大きい方、小さい方はこちら
自然石風(板碑型) 54x34x22p(右奥行13p、中央山型高9p、碑面額縁は下6pより32x19x-0.5p)
N34.959231 E135.293131


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南東面
┌――――――――――――――――――┐
│     兵右衛門         │
│右ハさい志やう           │
│       道          │
│左ハたかひら            │
└――――――――――――――――――┘
(「志」は変体仮名「し」「右ハ在所」か)

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では72)
(同書では「平成9年度整備。」とある。現在(2019)では下部をセメントで固められて建っており、その
 時の事であろう。すぐ南はフィールドアスレチック施設の入口となり、東には駐車場があり辻北西部のみ
 手が掛けられていない様に感じられる。よって一番邪魔にならない地点に移されたものであろう。
  明治の地図では南北の山裾を通る道から西へ分岐し大船山の北を通り十倉に出る道が見える。この西へ
 の道が「左ハ高平」で案内されていると思われるが未踏査である。「今ではハイキングで使うだけだが、
 昔は高平の人と血縁関係を持つ者も多くいて、生活道路であった。」とお聞きした。又、「右ハ在所」は
 大磯の集落を示し今でも十数戸の集落があるとも言われていた。案内については問題ないと思う。)
(自然石風(板碑型)としたのは、切り出したノミ跡がハッキリと残り南東文字面も平滑にするだけでなく
 額縁状に掘り下げられおり加工の跡が多く見えるためである。切り出し痕をワザと残すものは時々見かけ
 市内では目下三つ「井ノ草900の道標」「母子新田の道標」「小野525の道標」あり、他市では
 「高槻市下田部町1の道標」「川西市丸の内町5の道標」等あるが、江戸以降の建立が多いように思う。
 ご近所の方に「波豆川に石切場がありそこのものではないか。」ともお聞きしたので石切場の稼働時期等、
 今後の調査としたい。)
(同書の施主であろう部分の読み下し「兵左門」について。先ず「右」か「左」かについては、旁の部分が
 右方向に「〜」の様に見え、「乙」様の「左」では無いと思い「右」としたい。次に「右」の下に横棒が
 見え「ヱ、衛」があるとし、その下に「つ」(門のくずし字)が付いているとし、「兵右衛門」とした。
 但し、名前に関しては「右」「左」は良く間違うことがある。
  字面を額縁にした丁寧さに、ノミ痕の荒々しさを残し、山深い地に有りながら、オシャレな感じの道標
 に思われる。名前のみを小さく刻んだ方は、この大磯の在であったと想像する。)
(「たかひら」を高平村と限定すれば1889年(明治22年)町村制により成立となるが、それ以前からも使わ
 れていたようで、建立年の手掛かりとはできないようです。
  「たかひら」は「宝塚市芝辻新田オシケ芋の道標」にもあり紀年銘は無いが明治以前と思われる。現在
 (2019年)では、三田市田中、十倉、酒井、鈴鹿、下里、辺りを示すものか。土地の方の話では「高平は
 麻田藩の領地であった。」等からすると史料から同定出来そうで此方からも今後の調査としたい。
  尚、『北摂続羽束の郷土史誌』西村忠孜2000年刊では高平郷の起源を述べる中で当道標を「江戸幕末期
 に立てられた」としているが、根拠は書かれていない。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南に望む
 電柱右に二基  右奥(北)集落へ  右(西)十倉へ
 左(南)当道標】  右側は駐車場】  奥、波豆川へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標の上部を望む
 左が当道標  「兵右衛門」から  上が北西(裏)面で
 左端にノミ痕が残る】  「左ハたかひら」四行】  右側にかけて曲がる】

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【7.道標南東面左 【8.道標南東面右 【9.道標南東面右下
 「左ハたかひら」  「右ハさい志やう」  「兵右衛門」か
 と読める】  中央下は「道」】  「左、右」は怪しい】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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