57.三田市母子新田の道標

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三田市母子1528 県道308母子小学校正門の西500m三叉路を北に入り400m、西側民家の北に南東を正面に建つ
(西側に旧道跡らしきものがあるが、民家の敷地内と思われる)
角柱 60x48x36p
N35.022936 E135.222046


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南東面
┌――――――――――――――――――┐
│  右ハあお能村          │
│(梵字)     (道)      │
│  左ハやうたく寺         │
└――――――――――――――――――┘
(「能」は変体仮名「の」で「青野村」か)
(梵字はカで地蔵菩薩の種子か)
(( )部は『さんだの道標』より)

北東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では57)
(同書に「平成12年、戸主により整備」とあり移設された可能性は大である。)
(南東面の「右ハあお能村」の「能」は変体仮名で書かれた「の」で「右は青野村」、「左ハやうたく寺」は今の
 書き方では「左ハようたく寺」となり「左は永沢寺」として問題は無いであろう。
  尚、現在地名としては「永沢寺」は「エイタクジ」と読み、寺は「ヨウタクジ」と言い分けているらしい。)
(南東面(碑面)の仕上げをワザと粗くし、四隅にもノミ痕を残すなどしておりデザイン的に変わったものを目指
 した様に思える。三田市内に同じくノミ痕を残す「井ノ草900の道標」「波豆川288の道標」があるが、
 大きさ的には波豆川のものに近い。
 他市では「高槻市下田部町1の道標」「川西市丸の内町5の道標」等がある。)
(元位置であるが、明治の地図で見ると現在(2019)の車が通る道が小径として描かれ東の山裾に沿い南に下り、
 南東へ曲がり現県道308に出ており、永沢寺へはこの道である。一方、西の山裾に沿って南に下る点線で書かれ
 た凡例に載らない畦道と思われる道も、同じく県道に達している。当然こちらは県道の西側に出ており青野へは
 此方が近い。依って、この二つの道の分岐点に建っていたものと想像できる。但し分岐点(三ツ辻)が現在の地
 点であったか、民家の南側であったか、90m程北の現道標西の畦道が車道と交わる所であったかは決められない。
  平成12年の整備時に移動が有ったかどうかは、お話が聞けなかった。)
(北1.3kmに「母子天狗岩稲荷北の道標」があり、南東「永澤寺西の道標2」に続き、
 南西は「上青野の道標」に繋がる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を西に望む 【3.道標を南に望む
 奥(北)天狗岩稲荷へ  道標の後ろ左右に  奥に続きそうだが
 道標は民家の裏手】  道がある】  未踏査】

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【4.道標を東に望む 【5.道標南東面拡大 【6.道標を西に望む
 電柱の位置に  碑面が平滑でなく  手前や右角に
 車道が南北に通る】  読み難い、故意か】  ワザとノミ痕を残す】

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【7.道標南東面左下 【8.道標南東面中央 【9.道標南東面右下
 「左ハやうたく寺」  中央上部は梵字  「あお能村」
 と読める】  「カ」地蔵菩薩か】  「能」は変体仮名「の」】

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【10.三田北部の道標】n
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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