53.三田市永澤寺西の道標2(二基の内北側)

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三田市永沢寺 永澤寺東山門より県道49を西へ550m四つ辻を北へ70mの三ツ辻東側山裾に西を正面に建つ
(旧道では南北の道から南東の寺に分岐する三ツ辻であったと思われる)
(もう一基「永澤寺西の道標1」はこちら)
自然石 78x76x45p
N35.016696 E135.241307


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西面
┌――――――――――――――――――┐
│右ありま大坂            │
│      道           │
│左永澤寺              │
└――――――――――――――――――┘

南面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では53)
(明治の地図で見ると、この辻は北西の母子集落から来て当辻で南に向きを変へ三田方面へ進む道が聯路とし
 て描かれており、南東に道なりに山裾を進み永澤寺に出る管路が分岐する三ツ辻となっている。
  現状(2019)では南東への道はほぼ通行出来ないが痕跡は残っており、南への道は地道ながら県道を横切
 り南の山に登っている(未踏査)。案内「右ありま大坂」が南を示し、「左永沢寺」が南東を指すためには
 北面、或いは北西面していたものと思われる。
  南側にある「永澤寺西の道標1」が北西面に「右三田」とある事と同様であったと思われる。
 現在では山にもたれ掛かるように立ち近接移設であろうと思われる。)
(聯路で描かれている道は国立公文書館デジタルアーカイブの「天保国絵図」にも朱書きされる主要道であり、
 「五畿内誌」75コマの「天王嶺」とする道であろう。これを南に進むと「乙原の道標」に続く。)
(南隣の道標の「天保十四年」建立に対し、なぜかこちらは新しく感じられる。苔の付き方以外に文字の細さ
 や字体、「永澤寺」を漢字で書き「澤」だけくずし字にする等から明治以降の気がするが如何であろうか。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を北東に望む
 防獣柵右奥に当道標  左(北)側が当道標  右端に当道標
 背後に県道49号】  右山裾南東永澤寺へ】  左、旧道母子へ】

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【4.道標西面左部 【5.道標西面拡大 【6.道標西面右部
 「左永澤寺」の  石に比べ字が  「右ありま大…」
 「澤」は良く見えない】  小さく彫も浅い】  とした】

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【7.道標西面左下部 【8.道標西面下部 【9.道標西面右下部
 「…永澤」の「永」  中央白い丸型コケ下に  「…大坂」部分
 が中央に見える】  「道」が見える】  「大」右大半が白い】

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【10.道標を北東に望む
 奥へは川が続くが
 道は無いであろう】

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【11.三田北部の道標】
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【12.三田西部の道標】 【13.三田東部の道標】
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