46.三田市乙原の道標

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三田市乙原 県道49号の乙原天満神社の南250m、大きな三ツ辻の北外れ道の西側に南を正面に建つ
(土地改良記念碑の北)
自然石板碑 126x83x26p(台石10x110x118pの上に石で囲まれたコンクリートに乗る)
N34.96895 E135.234672


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右 そのべ             │
│     道            │
│左 さゝ山             │
└――――――――――――――――――┘
(「そ」は変体仮名「曽」)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では46)
(南面右側の「右」の下「万」の様に見える字は「曽」からできた変体仮名「そ」で「右園部」であろう。)
(明治の地図で見ると、今と同じく北方に分岐する辻は見当たらず移設されたことが分る。元位置の候補として
 二地点が見え、一つは現地の北140m、
 もう一点は現地の南480m東の山入端のY字路となるが距離的には第一候補で、行先では第二候補であろう。
 第一候補の位置は大根川の西岸になり、「左」川沿いの北への道は残るものの、「右」川を越え天満神社への
 道は無くなっている。多分天満神社の石の鳥居が建つ地点を通って現県道47号沿いであったと思われる。
N34.970380 E135.234642
 辺りと思われる。
  第二候補は、県道47の黒川橋の南90mの三ツ辻で、「左」は西側山裾に向かい上記第一候補地へ、「右」は
 黒川の東側の山裾沿いを進む道を示すことになる。
N34.964758 E135.233413
 辺りと思われる。
  さてどちらとすべきか。両地点で「左篠山」はどちらも母子を経由し篠山となり、決定要素とはならない。
 そこで「右そのべ」である。「右園部」とし現、京都府南丹市園部町とした時、ここからどの道を採るかかが
 分からない。「そのべ」は「能勢町野間中本滝道下山口の道標」にあり、奇しくも案内先に同じ「さゝ山」と
 あるがそちらは同じ道を案内し、此処では分岐を指示するのである。ただその道標の示す野間への道へここか
 ら繋がる道ではない。
  地図上で最短距離を探すと、小柿から丹波後川と能勢天王へ、又は田中から末吉を経て猪名川町島の二つが
 考えられそうである。天瑞寺の南を通って田中に抜ける場合だけ第二候補でなければならず、小柿を目指す場
 合は両地点とも可である。南から来て田中を目指す場合は「小野525の道標」辺りで北東に分岐するであろ
 うからここでの指示は必要性が低いものとなる。
  依って距離の近い第一候補を元の位置としたい。此方であれば「左篠山」の母子へも近道である。明治の地
 図をもう一度見ると、辻の西には役場があり、北東(右)の道はすぐ橋を渡って神社の鳥居へ直進している。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を西に望む
 奥(北)永沢寺へ  奥左(南)小野へ  大根川を挟んで
 現県道49は篠山へ】  南三ツ辻右旧道へ】  対岸に旧道あり】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標前より
 「右そのべ」  「右そのべ」の「そ」  元位置候補1を望む
 「左さゝ山」】  は「曽」の変体仮名】  左の山のはな辺りか】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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