75.三田市末吉の地蔵道標

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三田市末吉21 県道37号観福寺西交差点から東に県道507を1.6qの三ツ辻北東10mに南を正面に建つ
(10m西に末吉の道標はこちら
自然石 82x75x54p(像部39x33x5p、下部20x28p蓮華座)
N34.983208 E135.284109


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│  のせ加めやまみち        │
│右                 │
│(地蔵像)             │
│左                 │
│  む志由うあんみち        │
└――――――――――――――――――┘
(「志由」は「しゆ」の変体仮名)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│元禄十一寅年六月十五日       │
│        利左衛門      │
└――――――――――――――――――┘


(元禄十一(戊寅)年六月十五日は西暦1698年7月22日火曜日である。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では74)
(同書に「陽刻地蔵菩薩坐像」とある。読み下しの「左ざい□□□」と紀年「…十三寅年四月…」が誤って
 いると思われる。)
(全体は三角おにぎりの様で地蔵の回りを5p彫り下げる事により像を浮き上がらせている。よって正面は
 凹面を成している感じがし、両脇にある案内も皿の縁に書かれているかと思わせる。
 案内に付いては西隣の道標とほぼ同じである。現在の位置は辻を北東に離れ県道に面して立つ為「左右」
 の案内がシックリこない。元は西隣の道標と同じ辺りに南面或いは南西面して建っていたとし、この地蔵
 の道標が見難い為、案内だけの道標を辻に建て地蔵が移されたものではないかと想像したが、左側の案内
 に「山」が無く「む志由あんみち」とすべてかなであるとして読み下すと「夢住庵」となり、西の道標の
 「夢住軒(むしゆけん)山」への案内ではなく、「夢住軒塔頭(夢住庵)」への案内となり、100m東の
 三ツ辻から移設の可能性が大である。明治の地図で見ると三ツ辻の左への道が方廣寺に達し、右の道は寺
 の南を通過しているように書かれている。尚、現在(2019)では「夢住軒」は無いと寺の方にお聞きした。
  下記に西側の道標と当道標の「左」の行先を、比較した写真を載せた。左側は「末吉の道標」を切取り
 (トリミング)したもの、右は当道標の二枚の写真をトリミング後縮小して「あ」を抜かして位置を合わ
 せたもので、右端に該当するくずし字と読みを付けた。最後の字を「見」とするか「ん」とするか。)
(明治の地図にも見える、「右能勢、亀山」の道は県道507号(川原ー島)相当と思われ「末吉の道標」
 も述べたように、この前を通る道は『北摂羽束の郷土史誌』西村忠孜1993年刊が「京街道」とする如く、
 国立公文書館デジタルアーカイブの「天保国絵図」にも河原村から西畑村へ朱書きの主要道であった。
 今の県道はゴルフ場の北辺りで途切れ、その先は未踏査である。)
(西面の紀年について、同書の「天保十一寅年四月」を誤りとしたのは、一文字目「天」が「元」の様に見
 えたので疑ってみた。天保十一年は庚子の年で「寅」ではない。そこで「元」の付く年号の元禄、元文、
 元治、の内で十年を越えるものは「元禄」だけで、元禄十一年の干支「戊寅」に一致する。
 依って、「天保十一年」ではなく「元禄十一年」と読むべきで、改めて二文字目を見ると「保」ではなく
 扁も旁も「禄」に一致している事が分かる。もし「天保」なら十三(壬寅)年となり、「十一」を「十三」
 に読まなければならない。多分三田市内では二番目の古さになると思う。
  尚、夢住軒は九鬼藩第二代藩主が建てたらしく「隆昌寛文九年(1669年)23歳の没」とあり道標建立
 (1698年7月)以前であるため、その建物を案内しても矛盾は起きない。)
(西面左下部には施主と思われる名前もあり「利左衛門」と読んだ。その他にも文字らしきものが有りそう
 だが読めなかった。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 木の右に当道標  後は北への林道  右(北)む壽免山へ
 奥(東)集落へ】  左に西側の道標】  奥、布木、田中へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面左部 【6.道標南面右部
 元は辻に有ったか  「む志由うあんみち」  「右のせ加めやまみち」
 左面に紀年が残る】  と仮名で読んだ】  と綺麗に残る】

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【7.道標西面年号一文字目 【8.道標西面年号二文字目 【9.道標西面干支部
 「天」でなく「元」とした  「禄」シメス扁に  「…寅年…」とした
 四画目が決め手】  「ヨ」「水」とある】  上部黒点右下「ウ」冠】

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【10.道標西面左下拡大 【11.道標を北東に望む 【12.左行先の比較
 「利左衛門」とした  年号は西面の前側  左は「末吉道標」
 施主であろう】  地蔵頭部の高さより】  右当道標、右端参考】

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【13.三田北部の道標】
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【14.三田西部の道標】 【15.三田東部の道標】
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