74.三田市末吉の道標

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三田市末吉21 県道37号観福寺西交差点から東に県道507を1.6qの三ツ辻北東部に南を正面に建つ
(10m東に地蔵道標はこちら
自然石板碑型 62x41x18p(下10pより龕部47x28x-1p、下部7x20p蓮華線刻)
N34.983155 E135.284062


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南面
┌――――――――――――――――――┐
│右ハのせかめ山道          │
│        (蓮華線刻)    │
│左ハむ志由見山道          │
└――――――――――――――――――┘
(「志由」は「しゆ」の変体仮名)

東面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では74)
(同書で正面左の読み下しを「左ハむじゅ見山道」とし、『北摂続羽束の郷土史誌』西村忠孜2000年刊では
 「左 むじゆ見山道(むじゆけんやまみち)(夢住軒むじゅうけん)」としている。)
(案内の左側「左ハむしゆけん山道」と読み下し「夢住軒」を探すと、『三田市史』第4巻2006年刊755頁
 に資料番号392「方廣寺境内ならびに諸堂房舎之の書上」に「藩庁御中方廣寺境内塔頭夢住軒 一、客殿
  庫裡続茅葺 桁行九間 梁行四間半…」とあり、三田第二代藩主の隠居所であったらしい。方廣寺の方
 にお聞きすると、「東と西むじゅうけん山があり寺の背後の東西の山を呼ぶ」との事で「この道標を左に
 行けばその山へいけますよ」とも言っておられたので「左」で良しとする。)
  右は「能勢、亀山」で県道507号(川原ー島)相当と思われるが杉坂峠より猪名川町側は現在(2019)
 では車は通れないようである(未踏査)。ただ明治の地図では峠から真東の猪名川町西畑、或いは南東の
 島に通じる道が見え、何れも島から東の能勢町森上への道が「能勢、亀山」道であろう。
 西の「小柿見比峠の道標」から当道標を通り東への道を『北摂羽束の郷土史誌』西村忠孜1993年刊では
 「京街道」としており、遠く東の「能勢町森上の地蔵道標」に続くようで、これも納得がいく。)
(行先の案内がほぼ同じ「地蔵道標」が何故か離れて建つ理由は。)

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【1.道標を北東に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を南西に望む
 分岐点に当道標  右奥(北)集落へ  右(北)夢住見山へ
 右(東)集落へ】  左、方廣寺裏山へ】  奥、布木、田中へ】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標南面下部拡大
 上部と右下欠損  右側「…かめ山道」  蓮華紋の線刻が
 字面は綺麗だが】  左側「…む…山道」】  綺麗に残る】

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【7.道標南面左部拡大 【8.道標南面左部に加工 【9.道標南面右部拡大
 「…む志由見」が  誤読した字を比較  「右ハのせかめ山道」
 正しいようだ】  の為右に入れた】  此方も山が小さい】

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【10.三田北部の道標】
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【11.三田西部の道標】 【12.三田東部の道標】
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