29.能勢町森上の地蔵道標

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能勢町森上13 国道173号来栖交差点西へ70mの旧道四辻を北へ80mの四辻の北西部、石垣中に
東を正面に建つ
地蔵光背型 38x25x12p(像部30x10x1p)
N34.969274 E135.398249


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東面
┌―――――――――――┐
│右 妙見       │
│(地蔵像)      │
│左 京かめ山     │
└―――――――――――┘

南面
┌―――――――――――┐
│(なし)       │
└―――――――――――┘

北面
┌―――――――――――┐
│(なし)       │
└―――――――――――┘

西面(写真無)
┌―――――――――――┐
│(不明)       │
└―――――――――――┘


(『能勢の道しるべ』森本弌著1991発行では29)
(同書に「…店の南側に柳橋から名月峠方面へ分かれる妙見道があって、この道標はかってその一角に西向
 きに立っていた。左の京・亀山道これより北上して和田子橋から山腹を大里へ抜けていた。」とある。
 明治の地図で見ると当地は三ツ辻となっており東へ分岐する道が「妙見道」で現在も国道迄の50mは残り、
 柳橋を東に越えた地点から南東に来栖へ向かう旧道として見える。「京亀山道」はこの辻から北へ現在の
 国道173号へ出て200m辺りで東に和田子橋を越え、東「大里221ライスセンター前の道標」へ続く道と
 思われる。
 依って西面していたとするなら、三ツ辻北東角部が相応しいと思われ、道の東からの近接移設となろう。
  明治の地図では、現在の国道173の位置に道は無く当辻は「ト」字型で、西への道は描かれておらず三
 ツ辻である。
  尚、南に向かい現府道602の交差点(森上大夫墓の道標の元位置か)を西に折れると「いやん坂」を越
 え今西で丹州街道へ出て、北の篠山方面と南の池田方面と西の三田方面に夫々行くことが可能であるが、
 篠山ならそこで北折れがするのが近く当然であり、池田へはそこで西折れせずそのまま南に100m直進し
 「森上の道標」で西に折れる方が近いと思われる。微妙なのが三田方面で、今西から山田、猪名川町島に
 向かうなら「いやん坂」を越えたと思われが、神山から三草山のサイノ神峠を目指す場合に「いやん坂」
 を越えたかは分からない。
  何れにせよ当時の道の状況からすると、当辻は「三田−京道」と「妙見道」の分岐点といえる。)
 
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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南西に望む 【3.道標を西に望む
 右奥(北)山辺へ  奥信号は府道602交差点  奥への道は旧西中へ
 消火栓の左当地蔵】  右、石垣中に当地蔵】  右(北)京亀山へ】

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【4.地蔵を囲む石垣 【5.道標左側拡大 【6.道標右側拡大
 像の左右光背部の  「左 京かめ山」  「右 妙見」とある
 行先は読み難い】  と読める】  左よりは読みやすい】

写真fimg3232 写真fimg3225
【7.能勢町西部の道標】 【8.能勢町東部の道標】
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