47.三田市小柿見比峠の道標

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三田市小柿 県道309号の見比峠(小柿ー乙原)の西100m、三ツ辻の西部に東を正面に建つ
自然石 80x97x56p(三角錐状、東面額縁68x41x-1p)
N34.973007 E135.257382


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東面
┌――――――――――――――――――┐
│右 乙原駒宇佐           │
│左 きよ水三田           │
└――――――――――――――――――┘

北西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

南西面
┌――――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では47)
(東面の駒宇佐は不案内である。現在(2019)三田市上本庄1221に駒宇佐八幡宮がある様でこれを示すものか。
 「駒宇佐」が地名では無いと思えるのは同社が「大音所村」或いは「野々倉村」にあった為である。
  『北摂羽束の郷土史誌』西村忠孜1993年刊にこの道標が「赤坂口道標」として紹介されており、要約すると
 「この道標より西に乙原に下り鍔坂峠を越え上青野に出てもう一つ山を越すと駒宇佐八幡宮となる参拝道。」
 としている。一方左への記述は無いものの道の図が載り、小野村に出る道を「栗田里道」とし、三田と清水に
 分岐する道が描かれている。三田へは小野から県道49号で、清水へは県道309号を進むが三田市末辺りで別れ
 東山八幡神社辺りに出る経路であろう。又この道標から見比峠を越えて東への道を「京街道」としている。
  明治の地図でも上記のルートは確認でき、行先に問題はないと思う。乙原への道は未踏査である。)
(駒宇佐八幡宮は国会図書館デジタルライブラリ『摂津名所図会』12巻コマ38に載り江戸時代から名所であっ
 た様だが、左側の「きよ水寺」がカナで書かれているのに、此方は全て漢字で書かれており、何か引っ掛かる
 ものがある。カナにしても文字数は収まりそうで、難しい漢字を使っており古いものでは無いかもしれない。
 しかし、文字の風化具合や、元禄や天保の国絵図に「駒草八幡」とあり音で書くのが難しかった等と考えると
 江戸期の建立とも考えられる。)
(「左きよ水」は「左清水寺」として問題はないと思う。南西への道筋は末の西で千丈寺湖にはばまれ、辿り難
 いが「小野525の道標」から「末居屋山霊園の道標」「末松谷霊園の道標」に続くと思う。
 西には「乙原の道標」があり、東に進めば「末吉の道標」に繋がる。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を南東にに望む
 左(南西)小野へ  奥(北西)乙原へ  左奥(東)小柿へ
 右、乙原へ】  右、県道を小柿へ】  右、小野へ】

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【4.道標を西に望む 【5.道標東面左部 【6.道標東面右下部
 「右乙原駒宇佐」  「左きよ水三田」  「駒宇佐」と
 「左きよ水三田」】  「水」はくずし字】  全て漢字である】

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【7.三田北部の道標】
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【8.三田西部の道標】 【9.三田東部の道標】
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