39.三田市末松谷霊園の道標

↓末尾へ 文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。
三田市末 千丈寺湖の御旅橋西詰の西40m松谷霊園内のほぼ中央に南を正面に建つ
自然石 122x61x52p
N34.948913 E135.205186


写真gimg0444

写真gimg0445

写真gimg0447

写真gimg0449

南面
┌――――――――――――┐┌――┐
│   右清水      ││門 │
│ 弓力平蔵       ││弟 │
│   明治五申年    ││中 │
└――――――――――――┘└――┘

東面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

北面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘

西面
┌――――――――――――┐
│(なし)        │
└――――――――――――┘


(明治五年は西暦1872年。)
(『さんだの道標』教育委員会2000年刊では39)
(同書に「力士碑である。」とある。)
(昭和59年6月の銘がある墓地記念碑に青野ダム建設に伴い、末(須恵)の三つの墓地をここに移転したと書か
 れており、その時に当道標(力士碑)も移転されたものであろうが、元の場所は分からない。
 明治の地図でこの辺りを見ると、今の末西公園の東辺りに、末の中央から南西に進んできた道が西と南に分岐す
 る三ツ辻が見え
N34.946172, E135.206045
 辺りと想像するが、此処に北東面して立っていたと考えたい。先の「末居屋山霊園の道標」の項でも花山院から
 清水への主要道は明確に出来なかったが、小野を廻ったか、尼寺、黒郷を過ぎ東末を通った場合には、何れも末
 で合流し、南西に進むとこの辻となる。ここで西(右)の道を進むと、東山、四ツ辻、相野、三本峠と最短であ
 ると思う。左(南から南西)は上井沢から三田に繋がる道である。)
「力士に関する道標一覧」はこちら。)

写真gimg0477 写真gimg0474 写真gimg0473
【1.道標を北に望む 【2.道標前から南を望む 【3.道標を北に望む
 立像から右に  中央奥(南)上井沢へ  見た目以上に
 二番目が当道標】  左、千丈寺湖御旅橋へ】  大きな石である】

写真gimg0458 写真gimg0450 写真gimg0451
【4.道標南面左拡大 【5.道標南面拡大 【6.道標南面右拡大
 「明治五申年」  力士名であろうか  「右清水」
 と読める】  名前部分が小さい】  と読める】

写真gimg0476 写真gimg0462
【7.霊園記念碑 【8.台石の南面拡大
 末は須恵とも書く  右から「門弟中」
 力士碑も集めたか】  と読める】

写真fimg7011
【9.三田北部の道標】
写真fimg7009 写真fimg7013
【10.三田西部の道標】 【11.三田東部の道標】
文字ずれ時はブラウザの幅や「Ctrl」と「+」、「-」キーで倍率変更等して下さい。 ↑先頭へ