56.神戸市北区有馬町炭酸泉源の道標

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神戸市北区有馬町1339 炭酸泉源広場北東入口の西に北東を正面に建つ
尖頭型角柱 137x28x27p(頂高13p)(下部53pで折損)
N34.795152 E135.250303

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北東面
┌─―――――――――――――――┐
│   てつほう         │
│炭酸水             │
│    水ともいふ       │
└――――――――――――――――┘

北西面
┌─―――――――――――――――┐
│右               │
│ すみ 登りちこく       │
│ よし  津ゝみ可たき     │
└――――――――――――――――┘
(「すみよし」部は扇面状に彫下げる)
(「登、津、可」は変体仮名「と、つ、か」で
 「右、住吉、鳥地獄、鼓ヶ滝」であろう)

南西面
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│明治十丑年十一月 梶木源治郎  │
│            寄附  │
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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(明治十(丁丑)年は西暦1876年である。旧暦は明治5年までと思われる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では13)
(同書に「住吉から六甲越え有馬への道路が大改修されたのは明治十年ごろである。「梶木建設」はこの道路改修
 工事に関係があり、竣工直後に次の14番とともに建てた道標であろう。」としている。14番とは「鳥地獄の道標」
 でそれには「明治十年六月」とありこれが「同年十一月」なので此方の工事が半年ほど後であったものか。)
(さて、この道標が元位置に立つか移設されたかであるが、現在(2019)では公園の西の道が広く広場の南西部も
 これに繋がり入口となっているが、今立っている位置が主入口と思われ、道路拡幅等による近接移設はあろうが
 名所の案内標としてここが相応しいでと思う。
  この時、「右、住吉」へ行く場合南西20mで、金の湯方面から鳥地獄(住吉)への道に突当りそこにも道標が
 欲しくなる。現在はそこ
N34.795003 E135.250195
 の三ツ辻東部に新しそうな道標が建っており、前述の書には載っていないのでここで取り上げておく。)
(尚、梶木源治郎は地元の名士らしく、公園内の顕彰碑にも載っているが詳しくは知らない。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を北東に望む
 左、炭酸泉源公園内へ  奥、公園内へ  観光客右に当道標へ
 奥、ととや道へ】  この面に道案内】  右は現在の道標】

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【4.道標北西面拡大 【5.道標北西面上部 【6.道標北西面下部
 「すみよし」が  「すみよし」を  「登りち…」
 案内の第一か】  扇面にして書く】  「ち〜み」部で折損】

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【7.道標を南西に望む 【8.道標北東面下部 【9.道標南西面中部
 「炭酸水」と大書は  「てつほう」  「明治十丑年十一月」
 観光案内的である】  「水」はくずし字】  「…寄附」と読める】

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【10.有馬の道標】

比較の為西側の道標を載せる。

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北西面
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│左 たんさん泉源へ       │
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南西面
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│右 六甲山とりぢごくへ     │
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南東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
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北東面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

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