55.神戸市北区有馬町鳥地獄の道標

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神戸市北区有馬町1601 六甲越(ととや道)への登り口の鳥地獄石碑の西側に西を正面に建つ
尖頭型角柱 141x26x29p(頂高5p)(台石20x60x61p)
N34.793076 E135.248122

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西面
                  ┌―――――――┐
                  │世話方    │
┌─―――――――――――――――┐│原七郎兵衛  │
│       とりちこく    ││田中安右ヱ門 │
│(左指差像)ハ         ││妻木国次郎  │
│         多んさん水  ││川村四郎   │
└――――――――――――――――┘│冨士本由兵衛 │
                  │       │
                  └―――――――┘
(「多」は変体仮名「た」で「炭酸水」か)
(台石部苗字以下は『神戸の道標』より、以下同。)

南面
                  ┌―――――――┐
                  │戸長     │
                  │梶木源次郎  │
┌─―――――――――――――――┐│副戸長    │
│左 春みよし西能宮       ││金井四郎兵衛 │
└――――――――――――――――┘│願主     │
                  │川上九郎左ヱ門│
                  │小西政治郎  │
                  │伊藤庄右ヱ門 │
                  └―――――――┘
(「春、能」は変体仮名「す、の」で
 「左、住吉、西宮」であろう)

東面
                  ┌――――┐
                  │新道発 │
┌─―――――――――――――――┐│    │
│(右指差像)ハ津ゝみ可たき   ││ 田中 │
└――――――――――――――――┘│ 芝田 │
                  │    │
                  └――――┘
(「津、可」は変体仮名「つ、か」で
 「右、鼓ヶ滝」であろう)

北面
                  ┌――――┐
                  │    │
┌─―――――――――――――――┐│    │
│明治十丁丑年六月 梶木建設之  ││    │
└――――――――――――――――┘│    │
                  │    │
                  └――――┘


(明治十(丁丑)年は西暦1876年である。旧暦は明治5年までと思われる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では14)
(同書13に「住吉から六甲越え有馬への道路が大改修されたのは明治十年ごろである。「梶木建設」はこの道路
 改修工事に関係があり、竣工直後に次の14番とともに建てた道標であろう。」とある。13は「炭酸泉源の道標」
 でそれには「同年十一月」とありこれが「明治十年六月」なので此方の工事が半年ほど先であったものか。)
(明治の地図で当地を見ると北東炭酸泉源公園から来た道が南西ロープウェイ駅に向かう道から南に分岐し上部の
 ととや道に繋がる三ツ辻に見える。鳥地獄との関係までは読み取れないが、住吉を登山道に、鼓ヶ滝をロープウ
 ェイ駅への道、炭酸泉源を北東への道とすれば、現在の辻ではどの様に立てても三面の案内に矛盾が生じる。依
 って追刻が無いものとした上で移設されたとし、元の位置は100m西(道祖神の碑が建つ辻の東30m)の
N34.792951 E135.247095
 辺りにあった三ツ辻(現在は痕跡無)に現南面を北面させ建っていたと考える。
  現在の道標の東10mに「とりちこく」の石碑が建ちわざわざ案内するには近すぎるが名所の一つであったと思
 われる「鳥地獄」は『摂津名所図会』12巻コマ22で参照でき、それから引用すると「湯本より五丁許南にあり
 此名を地獄谷という。此所に井水ありこれを毒禽湯という。諸鳥これに触るる時は必死する…」とあり、湯本を
 現、妬(うわなり)の湯辺りに比定して、5丁(545m)進むとこの辺りとなり矛盾はしない。)

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【1.道標を南西に望む 【2.道標を北東に望む 【3.道標を西に望む
 右、ロープウェイ駅へ  奥、炭酸泉源公園へ  奥、ロープウェイ駅へ
 奥(南西)ととや道へ】  祠辺りが鳥地獄か】  左、ととや道へ】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面上部 【6.道標南面拡大
 この状況では  左指差像「ハと…」  「左春みよし西能宮」は
 住吉へは右】  「左は鳥地獄」】  「左、住吉・西宮」か】

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【7.道標東面上部 【8.道標北面上部 【9.道標北面下部
 「右指差、ハ津ゝみ」  「明治十丁丑年」  「六月 梶木…」
 「右、鼓ヶ滝」か】  と読める】  と読める】

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【10.台石西面拡大 【11.台石南面拡大 【12.台石東面拡大
 「世話方…」  「戸長…伊藤」  「新道発…芝田」は
 一部は読めるが】  と読める】  発起人あたりか】

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【13.元位置の西30mの辻
 道祖神の辻を南に望む
 左鳥地獄へ右鼓ヶ滝へ】

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【14.有馬の道標】
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