52.神戸市北区有馬町旅館玄関北の道標

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神戸市北区有馬町1296 県道51号太閤橋交差点南80m、道路西旅館玄関前に東を正面に建つ
自然石 (118x90x35p)
N34.798214 E135.247223

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東面
┌─―――――――――――――――┐
│右 三田きよ水         │
│左 兵こ三木          │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│ 世 佐渡屋吉兵衛       │
│ 話 松阪屋源右衛門      │
│ 人 八幡屋和助        │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

南面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘


(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区8)
(同書に「今はホテルの玄関先にあるが、もとは少し北の元標のあった旧道に立っていたと有馬の人はいう。」と
 しているが、現在(2019)では道路元標は南に200m離れた「金の湯」前に有り、符合しない。「金の湯」前に
 有ったのなら「左、兵庫・三木」は魚屋路を示し、「右三田・清水」は有馬川沿いの現県道98号相当であろう。
 一方「少し北」を採るなら、現在ならば太閤橋の掛かる四辻を想像するが、明治の地図からは辻が見当たらず、
 候補地は無くなる。依って「少し南」の誤植であるとし、第一候補は40m南東の観光案内所の三ツ辻
N34.797925 E135.247537
 に東面していたとするか、
 第二候補はそこから南に30mの善福寺北の三ツ辻
N34.797665 E135.247452
 で南面していたの、何方かとなるであろう。
  現在では少し北(70m)を県道51号が横切り四辻に成っており、此処に有った可能性は否定できないが、この
 道は新しく付けられたもので道標建設当時には無かったはずで、もし、そこからの移設を言うのであれば一度な
 らず移設されたことになり、そこは元位置ではないとしたい。)
(左側の案内「左 兵こ三木」は「左兵庫・三木」と考えると何処で分岐するかが問題となるが、前述の二ヶ所の
 元位置候補の何れでも満足できるが、第一候補であった場合は南へ40mの三ツ辻となり、兵庫へは魚屋路経由と
 なり、三木へは現在の県道51号相当の有馬口方面と想定できる。
 第二候補地点(すぐ近くに「善福寺北の道標」が建つ)なら遠く西の県道51号相当を進行後の有馬口辺りになる
 と思われ、二ヶ所共に案内に不可は無く、位置を決める手掛かりには出来ないが「善福寺北の道標」が三田と兵庫
 を案内し、二つの内一つ(当道標)を移設したとするのはどうであろうか。)
(建設時期は世話人の屋号と名前を見る限り江戸時代と思われる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を南東に望む 【3.道標を西に望む
 中央左木の後ろに  正面に観光案内所  右(北東)太閤橋へ
 当道標が建つ】  右、旅館の玄関】  左、有馬観光案内所へ】

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【4.道標東面上部拡大 【5.道標東面下部拡大 【6.道標北面下部
 「右三田きよ…」  「…三田きよ水」  「世話人」は横書き
 「左兵こ三…」】  「…兵こ三木」】  三人の名は縦書き】

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【7.有馬の道標】
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