51.神戸市北区有馬町善福寺北の道標

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神戸市北区有馬町290−1 観光案内所の南40mの三叉路を北に分岐し10m、民家西裏に南を正面に建つ
角柱 167x42x35p
N34.797778 E135.247424

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南面
┌─―――――――――――――――┐
│右 三田堂ん者たし末      │
│           道    │
│左 ひやうこ神戸波り満     │
└――――――――――――――――┘
(「堂者末波満」は変体仮名「たはまはま」で
 「右三田丹波但馬、左兵庫神戸播磨」か)

東面
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│明治九丙子年三月建之      │
└――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
└――――――――――――――――┘

西面
┌─―――――――――――――――┐
│(なし)            │
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(明治九(丙子)年は西暦1875年である。旧暦は明治5年までと思われる。)
(『神戸の道標』には未記載)
(案内は変体仮名で書かれ「堂者末波満」を「たはまはま」として当時の表記を考えると「右、三田・丹波・但馬」
 「左、兵庫・神戸・播磨」と出来る。
 明治の地図では、南10mの三ツ辻を北北東に「ねね橋」に向かう道が三田方面となり、現道標前の道は北西300m
 から現(2019)県道51号に出て西への道になり下唐櫃(有馬口)へ続いている。よって元はこの三ツ辻に南面して
 建っていたものと思われ近接移設とするが、辻が南に移動した可能性もある。
  尚、この辻には「旅館玄関北の道標」が建っていた可能性も含め、交通量は多かったと想像できる。)
(この道を西に進むと「亀乃尾不動西の道標」に出会うがこれも同じ辻に建っていたと考える。)

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【1.道標を北に望む 【2.道標を南に望む 【3.道標を北東に望む
 右、ねね橋へ  広い道右、金の湯へ  左(北)有馬口へ
 左、カタ峠へ】  電柱左、当道標】  背後10mに三ツ辻】

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【4.道標を北に望む 【5.道標南面拡大 【6.道標東面下部
 「右三田堂ん者…」  「右三田堂ん者…」  「治九丙子年三月」
 「左ひやうこ…」】  「左ひやうこ…」】  丙は小さく刻む】

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【7.有馬の道標】
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