14.神戸市北区有野町田尾寺の道標2

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神戸市北区有野中町4−1−3 現県道15、82号の有野インター交差点を南70m東に入り80m道が北に折れる南東角の道外空地東端に西を正面に建つ
(北西5mに少し大きな「田尾寺の道標」が建つ)
自然石 72x52x33p
N34.833326 E135.229229

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西面
┌─―――――――――――――――――┐
│ (寛政十一未七月廿一日施主勇連中)│
│    右京(大坂)        │
│直原信士              │
│    左(道場川原)       │
│ (俗名 坂田宗重郎)       │
└――――――――――――――――――┘
(( )部は『神戸の道標』より)

南面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

東面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘

北面
┌─―――――――――――――――――┐
│(なし)              │
└――――――――――――――――――┘


(寛政十一(己未)年七月廿一日は、西暦1799年8月21日水曜日となる。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区22)
(同書に「西国三十三ヶ所巡礼中、…病に倒れた巡礼者を…葬り、供養塔と墓碑を兼ねて建てたと伝え、」とある。
 現在(2019)では単に道の北への屈曲点の外側であるが、明治の地図を見ると、南60mの田尾寺橋西詰から続く道
 がここで西へ曲がる三ツ辻であったようだ。西から来た場合右(南)川岸に下り橋を渡り現西宮市山口方面を「京」
 とし、左(北)は今も残る田尾神社への道(県道82号はアンダーパス)で道場川原を示すことになり案内に不都合
 はなく、当道標はほぼ元の位置であろう。
  一方、この道標の北西5mにある「田尾寺の道標」の案内は現在地のままでは機能しない為移設であろうとした。)
(紀年部分は『神戸の道標』によったが「寛」の「ウ」冠と下の「クサ」迄は読み取れ、「七、施主、勇」は間違
 いなさそうである。案内部分は「右京」迄と「大」の上部が見え、「信士」の左下の「左」以下は木の根が邪魔で
 確認できない状況である。同書の行き先「左 道場川原」で「元位置のままであろう」と結論しているので注意し
 ていただきたい。)

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【1.道標を東に望む 【2.道標を北西に望む 【3.道標を東に望む
 緑の橋は県道82号  右端が当道標  左二基は西国供養塔
 中央道標右に当道標】  左端「田尾寺道標」】  木の根元に当道標】

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【4.道標を東に望む 【5.道標西面拡大 【6.道標西面右部
 木の根が張り出し  風化が進み  「寛政十一未」
 下部は読めない】  わかりにくい】  らしいが読めるか】

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【7.道標西面右下部 【8.道標西面左部 【9.道標西面左下部
 道案内部分  「俗名 坂田…」  道案内部分は右下
 「右京」迄は見える】  らしいが読めない】  「左」しか読めない】

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【10.北区東部の道標】
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