22.堺市北区百舌鳥八幡の道標(和泉国で対象外である)

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堺市北区百舌鳥赤畑町5−706 百舌鳥八幡宮境内大階段下の南東部に北を正面に建つ
尖頭型角柱 107x24x24.5p(頂高8p)
N34.553708 E135.494869


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北面
┌─――――――――――――――┐
│  こうやさん        │
│すく      道      │
│  こん古う山        │
└―――――――――――――――┘

西面
┌─――――――――――――――┐
│ いゑ者ら          │
│右     道        │
│ 大鳥一の宮         │
└―――――――――――――――┘

南面
┌─――――――――――――――┐
│さ可い 神南邊        │
└―――――――――――――――┘
(「可」は変体仮名「か」で「堺」か)

東面
┌─――――――――――――――┐
│文政十三年造之        │
└―――――――――――――――┘


(文政十三年は西暦1830年である。)
(『大阪の街道と道標』武藤善一郎、平成11年発行では、108)
(案内先、「いゑ者ら」は堺市西区家原寺町の「家原寺」、「大鳥一の宮」は同西区鳳北町の「大鳥大社」とし、
 「こん古う山」は奈良県御所市高天「金剛山」、「こうやさん」は和歌山県の「高野山」で説明は不要であろう。
  元位置は西高野街道上と思われ、今の「梅北」交差点の東辺りにあったものでは無いかと考える。
 旧の西高野街道はこの四辻で道なりに南東に向かい、現南海中百舌鳥駅方面に進む。右(南)に進むと、赤畑か
 ら北條で西に折れ家原寺へ、更に西に進み石津川を越せば大鳥大社は1q程である。)
(ここで取上げたのは施主「神南邊」が建てた「尼崎市西川2の地蔵道標」が摂津国内にあり、その建立年の参考
 として載せたものである。当道標には「文政十三年(1830年)」とあり、尼崎の道標もほぼこの前後と考えて良
 いと思う。尚、「1830年頃までは神南辺隆光、以降神南辺道心の銘が多い」とするweb上の資料もある。
  この人は他にも多数の石造物を残しているようで、「堺市堺区寺地町東4-1-14の旭蓮社本堂左奥に神南邊道心
 の墓があり、台座には天保12(1841)年9月10日と刻まれる」とする資料も又web上にあり、「堺市史には、天保
 12年2月20日没」ともしている。これを適用すれば、神南辺本人が建てたものならば1841年以前とできる。)

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【1.道標を北西に望む 【2.道標を東に望む 【3.道標を南に望む
 右、階段上に本殿  奥左、鎮守山古墳を  奥(南)石の大鳥居を
 左端に当道標】  北に巻き府道28号線へ】  出てすぐ府道197号へ】

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【4.道標北面拡大 【5.道標西面上部 【6.道標南面上部
 「こうやさん」  「いゑ者ら」  「さ可い」
 「こん古う山」とした】  「大鳥一の宮」】  「〃」は「可」であろう】

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【7.道標東面上部 【8.道標西面下部 【9.道標南面下部
 「文政十三年」  「者ら」  「神南邊」
 とした】  「の宮」とした】  と読める】

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【10.道標南面 【11.道標東面下部 【12.道標東面
 作者と紀年確認の為  作者と紀年確認の為  作者と紀年確認の為
 「神南邊」】  「文政十三年」】  「文政十三年造之」】

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【13.堺市の道標】
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