19.神戸市北区八多町屏風辻の道標2(二基の内北側)

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神戸市北区八多町屏風1247 県道38号西畑交差点から南東330mの旧道湾曲部、西への道との三ツ辻北西部に
南東を正面に建つ。(エンド地蔵前とある。)(「南側の道標1」はこちら)
山型角柱 56x24x24㎝(頂高3㎝)(盃状穴、南側φ6㎝、北側8㎝)
N34.817728 E135.174427


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南東面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 右 おふこ三木           │
│奉納西國供養             │
│ 左 むらミチ            │
└―――――――――――――――――――┘

北東面
┌―――――――――――――――――――┐
│ 安政四巳十二月吉日         │
└―――――――――――――――――――┘

北西面
┌―――――――――――――――――――┐
│(なし)               │
└―――――――――――――――――――┘

南西面
┌―――――――――――――――――――┐
│   施主當村田中          │
│       傳右ヱ門        │
│ 同行二人  池ノ上         │
│       清三郎         │
└―――――――――――――――――――┘


(安政四(丁巳)年十二月1日とすると、西暦1858年1月15日金曜日なる。この年5月に閏月。)
(『神戸の道標』山下道雄、神戸新聞、1985年刊では北区№40)
(辻の環境や行先につては南側の「道標1」で述べたのでそちらを参照して下さい。唯一異なるのは右に「おふこ」
 (淡河)が付加されている点で、三木方面に進むと先に淡河に至る為問題は無いでしょう。
  ここでは、南の道標に比べ当道標の方が新しいであろうとした理由を述べてみる。同じ辻に道標が複数建ってい
 る事は良くあり、第一が道案内を目的とする為余分な情報を持っていないものが先である。それ以降に順礼供養等
 として建てようとする場合は題目の他既存のものと被らない表現を用いるのが常であり、その結果表現が多くなる
 傾向が見られる。依ってこれらに該当するとし、当方が新しいと思うものである。
  尚、道案内がない供養塔は東の一段高い建屋の東に置かれているようで、元和七(1621)年、正徳元(1711)年
 享和元(1801)年等の銘が見える。)
(石質が軟かい為か頭部の盃状穴が大きくなって、元山型角柱であったと思われる南側などは側面迄欠けてしまって
 頭部が凸凹になっている。よほど人通りが多かったものか。)
(南西面の施主「田中傳右ヱ門」を『神戸の道標』では「傳左ヱ門」とする。)

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【1.道標を西に望む 【2.道標を北に望む 【3.道標を東に望む
 左奥(南西)村へ  右小さい方当道標  奥、左、共に県道へ
 右側が当道標】  右上エンドの地蔵か】  右手前、村へ下る道】

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【4.道標南東面拡大 【5.道標南東面中央部 【6.道標南西面下部
 「右おふこ…」の  「安政四巳十…」特に  「施主」より「二人」を
 「ふ」は扁平に書く】  「政」が見難い】  上部より書き始める】

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【7.道標上部を望む 【8.東の建物の東部 【9.道標を南西に望む
 下が南東面  にある供養塔の  左(東)三田方面へ
 右側穴が径8㎝】  一基の内の西面】  右奥、屏風村中へ】

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【10.北区東部の道標】
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